乗客106人と運転士が亡くなり、493人が重軽傷(神戸地検調べ)を負った2005年の尼崎JR脱線事故。三田市民も15人が犠牲になった。尼崎市久々知3の事故現場では、県内外の消防隊員が救助救護活動に当たり、三田市消防本部からも延べ16人が派遣された。事故から間もなく21年。同本部に残る記録写真と現場に駆け付けた隊員の言葉、報告書などを基に、あの惨事を振り返る。(山本 晃)
■乗客吊り上げ、ロープ引っ張り続けた
05年4月25日は、青空が広がる月曜日だった。午前9時18分ごろ、JR宝塚線塚口-尼崎間で、宝塚発同志社前行き快速電車(7両編成)が、制限時速70キロの右カーブに約116キロで進入。曲がりきれずに脱線し、線路脇の9階建てマンションに激突した。尼崎や西宮、神戸、大阪などの消防が、相次いで現場に向かった。























