乗客106人と運転士が亡くなり、493人が重軽傷(神戸地検調べ)を負った2005年の尼崎JR脱線事故。三田市民も15人が犠牲になった。尼崎市久々知3の事故現場では、県内外の消防隊員が救助救護活動に当たり、三田市消防本部からも延べ16人が派遣された。事故から間もなく21年。同本部に残る記録写真と現場に駆け付けた隊員の言葉、報告書などを基に、あの惨事を振り返る。(山本 晃)
■1両目捜索「早く家族に帰してあげたい」
2005年4月25日に起きた尼崎JR脱線事故は、夜を徹して捜索活動が続けられていた。26日には、事故車両の撤去作業も並行して進められた。
当時の記事によると、27日には犠牲者が90人を超え、2両目の捜索は夜までに終了した。
同日夜、三田市消防本部から再び救助隊5人が現場へ向かった。救助隊長だった桐山享之さん(56)=現・予防課長=もその一人だった。























