相生市が「核兵器廃絶平和都市」を宣言してから、9月で40年となった。原爆被爆地の長崎市とは造船やペーロンでつながりが深く、かつては広島の出身者も含め、少なくとも数十人の被爆者が相生で暮らしていたという。市役所前には長崎・平和公園の鐘を模した「長崎の鐘」が立ち、毎年8月6、9日の原爆の日と同15日の終戦の日に鳴らしてきた。ただ、被爆体験を直接語れる人はわずかになり、風化が懸念される。非核の訴えの継承は、学校の平和教育に託されている。(佐藤健介)
■那波中生、現状学び新たな「宣言」に
「一発の爆弾が一瞬にして十数万の人命を殺傷する。生き残ったものでも生涯後遺症に悩む。核廃絶に向けた世界人類の悲願達成に、相生市も協力すべき」
被爆40年の1985年、市に非核宣言を求める請願が市民有志から市議会へ出された。市内の被爆者らの声が原動力になり、2473人分の署名が集まった。
請願は採択され、86年9月16日に市議会が宣言を決議した。翌87年、市役所前庭に御影石製の記念碑が建立された。除幕式で片山力夫市長(当時)は「碑は平和を愛する市民の意思の結集。核兵器廃絶の実現に向けて努力する」と述べた。
■長崎の鐘























