学生を前に講演する崔秀英さん(左)と父敏夫さん。被災直後の写真も使って説明した=神戸市中央区港島1
学生を前に講演する崔秀英さん(左)と父敏夫さん。被災直後の写真も使って説明した=神戸市中央区港島1

 阪神・淡路大震災で兄を亡くした神戸市の男性が11日、父と一緒に、同市中央区の神戸学院大ポートアイランドキャンパスで講演した。語り部として長年活動してきた父に誘われ、初めて親子そろって体験を語った。伝えたのは、突然起こる地震の恐ろしさ。そして、心残りがないよう生きる大切さ。震災後生まれの学生ら約40人は、熱心にメモを取りながら耳を傾けた。(上田勇紀)

 震災で兄秀光(スグァン)さん=当時(20)=を亡くした神戸市長田区の会社員、崔秀英(チェスヨン)さん(45)。今年2月、父敏夫(ミンブ)さん(82)=同市須磨区=が所属する団体「語り部KOBE1995」に加わった。きっかけは、高齢になった父に「やってみんか」と誘われたこと。「経験が誰かの役に立つなら」と引き受けた。

 「どうやって生きていけばいいか。毎日、泣きながら過ごした」

 神戸学院大の舩木(ふなき)伸江教授(防災教育)に招かれた授業で、秀英さんは28年前を振り返った。

 兄は1995年1月当時、東京の朝鮮大学校2年生。成人式のため、同市須磨区千歳町の実家に帰省していた。秀英さんは両親と2階にいて無事だったが、1階で寝ていた兄は家の下敷きになり犠牲になった。

 負けん気が強く頼りになる性格で、幼い頃から秀英さんを守ってくれた兄との突然の別れ。「安置所になった高校の体育館で、遺体から離れられなかった」と言う。

 全国から駆け付けた在日コリアンの絆の深さ、励ましの手紙をくれた同級生の存在…。秀英さんは人々の支えを胸に、兄と同じ朝鮮大学校へ進学した道のりを語った。

 「あの日、人はいつ死ぬか分からないと感じた。やらずに後悔するより、やってみて後悔しようと思った」。秀英さんは震災で得た人生観を紹介した。

 敏夫さんは震災の前日、風邪気味だった秀光さんが東京に戻ろうとするのを、引き留めたことについて告白。「私の一言が息子を死なせた」。つらい胸の内を明かし「震災の怖さ、恐ろしさ。それを君たちに分かってほしい。怖さを知れば行動に移せる」と、近い将来起こるとされる南海トラフ巨大地震への備えを呼びかけた。

 授業は近隣の大学からも受講できた。神戸女子大2年の女子学生(19)は「震災の遺族の方から初めて話を聞いた。災害はいつ起こるか分からない。後悔せずに過ごしたい」と話した。