小学1年で被災し、弟2人を亡くした柴田大輔さん。能登半島地震の被災地の子どもたちに思いを寄せる=神戸市長田区松野通4の実家で(撮影・長嶺麻子)
小学1年で被災し、弟2人を亡くした柴田大輔さん。能登半島地震の被災地の子どもたちに思いを寄せる=神戸市長田区松野通4の実家で(撮影・長嶺麻子)

 倒壊した木造家屋、夜空を赤く染める火炎、厳しい寒さ…。能登半島地震の被災地での光景に、29年前の記憶をよみがえらせる阪神・淡路大震災の被災者は少なくない。過酷な状況に心を痛め、「少しでも力になりたい」と祈るような思いで過ごす。

 「うわ、一緒やな」。神戸市長田区の飲食業柴田大輔さん(36)は、石川県輪島市の火災と、阪神・淡路で目の前に広がった長田区の火災の光景が重なった。

 当時小学1年生だった柴田さん。一家5人で住んでいた同区海運町の木造集合住宅1階の天井が落ち、寝ていた家族全員が下敷きになった。

 柴田さんが助け出されたのは約6時間後。両親も救出されたが、弟の宏亮ちゃん=当時(3)、知幸ちゃん=同(1)=はがれきに埋もれたまま、火に包まれた。

 後日、全焼した自宅跡で遺体と対面した。宏亮ちゃんの顔はすすだらけで、目は開いたままだった。「相当苦しかったんやろな」と今も胸が詰まる。