阪神とのオープン戦初戦、ベンチ前で黙とうを捧げるオリックスナイン=1995年3月4日、神戸市須磨区のグリーンスタジアム神戸
阪神とのオープン戦初戦、ベンチ前で黙とうを捧げるオリックスナイン=1995年3月4日、神戸市須磨区のグリーンスタジアム神戸

 「こんな状態でどうやって…」。阪神・淡路大震災から1カ月がたった1995年2月中旬、関係者は耳を疑った。オリックスが3月4日からのオープン戦に予定通り参戦する-。初戦は本拠地グリーンスタジアム神戸(現ほっともっとフィールド神戸)での阪神戦。グラウンド管理を担う神戸市公園緑化協会の課長だった広脇淳(63)は戸惑いを隠せなかった。

 比較的被害が少なかったニュータウンにある神戸総合運動公園(同市須磨区)は復旧対応の拠点となっていた。公園内のグリーンスタジアム神戸には警察、ユニバー記念競技場にはガス会社やゼネコン、球技場には自衛隊が基地を構え、アリーナには全国から届いた救援物資が集められた。調整や誘導は現場を知る広脇らが任され、慌ただしく動いていた。