「空襲警報に備えて、服を着たまま寝る毎日だった」と、父親の出征時の家族写真を前に記憶を語る榎靖夫さん=大阪府吹田市
「空襲警報に備えて、服を着たまま寝る毎日だった」と、父親の出征時の家族写真を前に記憶を語る榎靖夫さん=大阪府吹田市

 降り注ぐ焼夷弾の雨。炎に焼かれ、息絶える人々。太平洋戦争末期の1945(昭和20)年、神戸の市街地は、3月17日から繰り返された大規模空襲で焼け野原になった。幼かった榎靖夫さん(84)の目にも、その惨状は焼き付いている。家を焼き、父と妹を奪った戦争は「二度と繰り返してほしくない」。17日の空襲慰霊祭で体験を初めて語る。(田中真治)

 米軍の爆撃機B29の大編隊は、神戸市西部を焼いた3月17日未明に続き、6月5日朝にも東京大空襲を上回る焼夷弾を投下し、都市部はほぼ焦土と化した。

 JR三ノ宮駅の北、加納町3丁目にあった榎さんの家は、6月5日の無差別爆撃で跡形もなくなった。