香椎丸の写真を手に「まだほんま子どもやった」と振り返る小西茂雄さん=神戸市長田区
香椎丸の写真を手に「まだほんま子どもやった」と振り返る小西茂雄さん=神戸市長田区

 太平洋戦争の犠牲者には「戦時海運」を担った多くの少年船員がいる。戦況の悪化で乗組員が不足し、緊急要員として短期間で大量に養成されたためだ。15歳だった小西茂雄さん(96)=神戸市長田区=はフィリピン・レイテ沖で徴用船が撃沈されるも、九死に一生を得た。「皆、いつ海の藻くずになるか分からんと言うてた」。80年が過ぎても、死と隣り合わせの日々は脳裏に刻まれている。(田中真治)