太平洋戦争終盤、空襲被害の拡大を防ぐため「建物疎開」として、民家や商店など全国で61万戸の木造建物が強制的に撤去された。実態を示す資料は少ないが、米軍が保管していた文書によると、兵庫県内では3万1千戸以上が対象になり、戦局の悪化に伴って神戸市の都市部から姫路や淡路などに急拡大していった経緯が浮かび上がる。研究者は「戦時期の強権性がグロテスクに現れる事業で、当時の社会を理解する上でも重要」と指摘する。(若林幹夫)

■米軍保管文書で判明

 米軍が保管していたのは「建物疎開戦時住区に関する資料」と「建物疎開実施戸数」。いずれも旧内務省・防空総本部の史料で、建物疎開の実施要領や、事業決定の時期と市町村別の対象戸数を記録していた。終戦直後に米軍が日本で収集したとみられる。