■感情の揺らぎ、ほとんど見せず
被告席に、ひとりの男がうつむいて座っている。
9月25日、神戸地裁の101号法廷。頭を深く垂れているせいだろう。両肩と背中が大きくせり上がり、まるでテーブルの下に潜り込もうとしているようにも見える。
野津英滉(ひであき)。28歳。
さかのぼること5年。2020年6月4日、野津は宝塚市の自宅で同居する祖母と弟、そして別々に暮らしていた母と伯母をクロスボウ(洋弓銃・ボーガン)で次々と撃ち、死傷させたとして殺人と殺人未遂容疑で逮捕された。
クロスボウは、弦を引き金で解放する弓器だ。主に標的射撃や鳥獣駆除に使われる。放てばベニヤ板を数枚貫通し、銃に迫る攻撃力を有している。
事件で明らかになったのは、多くの人がネット通販や専門店で簡単に購入できる、という法の盲点だった。この事件をきっかけに銃刀法が改正され、所持するには各都道府県の公安委員会の許可が必要になった。
全国に大きな衝撃を与えた事件の初公判には、朝から傍聴席を求めて長蛇の列ができた。
野津は紺色のジャージーにマスク姿で、髪を短く刈り込んでいた。小柄な体をさらに縮めるようにして椅子に座り、問いかけに「はい」「いいえ」と短く返すのみ。感情の揺らぎをほとんど見せない。自暴自棄とも見えるし、開き直りにも見える。すでに何も差し出すものが残っていない「絶望」の気配も漂っていた。
被告人質問では弁護人が野津の体調を気遣って声をかけた。
「腰を曲げた状態なのはどこか痛いからですか」
「はい」
「どの辺りですか」
「首の辺りですね」
法廷の誰とも目を合わせず、野津は左拳を握ったまま、自分の膝の辺りをじっと見つめていた。
◆ ◆
計6回の公判審理で明らかになったのは、野津たち家族の暮らしだった。
母親は知的障害などを抱え、1歳下の弟には発達障害があった。生活保護を受けていた時期もあり、家庭内では癇癪(かんしゃく)や暴力が日常的だった。野津自身もまた、自閉スペクトラム症と診断され、教育センターや精神科への通院歴があった。
こうした状況は行政や医療、福祉が家族の困難を把握し、介入できる複数の機会があった可能性も示唆している。だが、実際には支援の手が家族に差し伸べられることはなかった。
野津は事件の事実関係を認めており、裁判の争点は刑事責任能力の程度や量刑だ。
今月15日の第6回公判で、検察側は計画性が高く、完全責任能力があったと主張。神戸地裁の裁判員裁判で3例目となる死刑を求刑した。
一方、弁護側は刑事責任能力が著しく低下した「心神耗弱」状態にあり、懲役25年が妥当と訴える。
判決日の10月31日が迫る。惨劇はなぜ起きたのか。公判で明かされた野津の生い立ち、さらに精神鑑定から浮かび上がる心の動きを伝える。(敬称・呼称略)