能登半島地震で上部が崩落した「窓岩」(曽々木観光協会提供)
能登半島地震で上部が崩落した「窓岩」(曽々木観光協会提供)

 阪神・淡路大震災の犠牲者を悼む神戸・東遊園地のガス灯「1・17希望の灯り」が来年2月1日、能登半島地震で被災した石川県輪島市に分灯される。2024年元日の地震で崩落した曽々木海岸の景勝地「窓岩」を望める場所にガス灯を置き、地震と同年9月の豪雨の犠牲者を追悼する。設置に尽力した神戸のNPO法人は「地元の人が前を向いて歩めるきっかけになってほしい」と願う。

 窓岩は海に約30メートル突き出た岩山。地震前は高さが30メートルほどあり、同海岸のシンボルとして親しまれた。岩が重なってできた直径約2メートルの穴があり、秋には日本海に沈む夕日が穴に重なって輝く絶景が楽しめたが、24年1月の地震で岩の上部が崩れ、穴がなくなった。変わり果てた姿に涙を流す高齢者らもいたという。

 地元の曽々木地区には当時、約60世帯が暮らしていた。地震による津波を警戒して住民らは高台に避難。犠牲者はいなかったが、一部の家屋は全壊し、地域を離れる住民もいた。

 地震後、神戸市のNPO法人「阪神淡路大震災1・17希望の灯り(HANDS)」が、学生ボランティアと同地区を繰り返し訪問。家財の片付けや夏祭りの準備、当日の運営などを手伝った。自治会長の刀祢聡さん(69)は「若い学生の姿を見て力がわいてきた」と振り返る。

 同年秋には、刀祢さんが神戸の希望の灯りを見るため東遊園地に足を運んだ。能登での設置に向け、同法人はクラウドファンディングなどで資金を集め、自治会も復旧に携わる事業者などから寄付を受けた。ガス灯は夕日が穴から差し込む様子をイメージして作るといい、刀祢さんは「地域にとって窓岩は誇りだった。地震前の姿をずっと記憶にとどめてもらいたい」と願う。

 希望の灯りは国内外に設置され、同地区で11カ所目。来月1日で発生2年となる能登の被災地は、今も約1万3千人が仮設住宅で暮らす。刀祢さんは「神戸の灯りのように、大変な状況を生きる人たちの希望となる存在になってほしい」と話した。(田中宏樹)