■西宮で被災の小林祥人さん
「呼ばれているから返事をしなさい」。阪神・淡路大震災で亡くなった妻は、がれきの下で身動きができない中、一緒に救助を待った子どもたちを励まし続けた。日常が一変したあの日から31年になる。成長した子や孫の姿を妻に伝えたい。「ええ子に育ったよ」と。(長沢伸一)
神戸市灘区に住む会社役員の小林祥人(ひろと)さん(70)は、1995年の震災で、妻直美さん=当時(36)=と三男祐太ちゃん=同(6カ月)=を亡くした。
1月17日午前5時半ごろ。小林さんは妻と子ども4人と暮らす西宮市屋敷町の文化住宅1階で目を覚ました。3連休明けの出勤日で、早めに仕事へ行こうと思った。
ファンヒーターで部屋を暖め始めてすぐ、ごう音が響き、体が突き上げられた。建物が北から南に揺れ、後ろから柱が倒れる。気付いた時は暗闇の中。天井か、壁か、目の前の板は重くて動かなかった。
中学生の長男はすぐに自力で脱出し、小林さんも近所の人の助けで約2時間後に家の外へ出た。
直美さんとほかの子どもたちが寝ていた部屋の辺りは土壁が崩れ、呼びかけても声は聞こえない。バケツリレーで土を運び出す。幼い次男は無傷だったが、小4の長女はたんすに挟まれて右足を負傷。直美さんと祐太ちゃんは息がなかった。
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震災翌年、小林さんは神戸市灘区に自宅を建てた。長男、長女、次男と4人での生活。直美さんが生きていた頃は入らせてもらえなかった台所にも立った。「料理は好きやったけど、妻から『後片付けが大変だからやめてくれ』と言われていた。その意味が分かった」。苦戦しながらも晩ご飯は必ず手作りし、弁当も用意した。
直美さんは子どもに厳しく、口癖は「自分がいつおらんようになっても恥ずかしくない子に育てんと」。あの日もがれきの下で、外から聞こえてくる声に「返事をしなさい」と子どもたちを励ましていたと長女に聞いた。
月日を重ね、長男と長女は結婚。5人の孫にも恵まれた。「子どもたちは反抗期もなく育ってくれた。妻には感謝しかない」と小林さん。一方で、がむしゃらに子育てと向き合う暮らしでは、生後半年で逝った祐太ちゃんのことを考える余裕はなかった。「成長した姿も思い浮かばへん」と声を落とす。
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「今度という日は二度と来ない」。この31年、職場の後輩たちに伝えてきた言葉だ。
震災前夜、小林さんは直美さんと「今年こそキャンプに行こな」となにげない約束をした。淡路島でのキャンプは結婚当初からの家族の恒例行事だったが、忙しくて3年ほど行けていなかった。「寝て起きたら、妻は死んどった。いつ災害が来るか分からんから、今を楽しむこと。うちは約束した次の日が震災やったわけやから…」
日常は永遠ではないと、後輩に、そして自身にも言い聞かせている。
























