乗客106人と運転士が死亡した尼崎JR脱線事故は、25日で発生から21年となった。現場のマンション跡に整備された追悼施設「祈りの杜」(尼崎市久々知3)では追悼慰霊式が営まれ、遺族や負傷者、JR西日本社員などの関係者ら約350人が参列した。
祈りの杜ではアーチ状の屋根の下に、もともと9階建てだった沿線のマンションが4階部分まで保存され、壁に衝突の傷跡が残る。この日は早朝から現場周辺に関係者や報道陣らが詰めかけた。
事故が起きた午前9時18分ごろ、JR西の倉坂昇治社長らが黙とう。現場カーブを通過する電車では、乗務員が現場に向かって頭を下げ、乗客も祈りをささげた。
午前9時45分からの慰霊式は一般非公開で行われ、慰霊碑前に広がる広場に遺族や負傷者、JR関係者らが集まった。倉坂社長は「(乗客の)尊い人生を預かる企業としての責任を果たせていなかった」と反省の言葉を述べた上で、「どれだけ時間が経過しようと事故を風化させることは決してありません。事故を経験した世代が次の世代へ、反省と教訓をしっかり語り継ぐ」と誓った。
現場を訪れたくない、遠方に住んでいるなどの理由で参列できない遺族らもいる。式典の様子はオンラインで配信され、尼崎市内の別会場で中継した。
JR西は、事故後に入社した社員が全体の約7割に上り、事故後生まれの世代もいる。将来に向けた教訓の継承が課題となる中、昨年12月には事故車両の保存施設が大阪府吹田市に完成した。同施設では1月から、鉄道の安全に向けた社員研修が始まり、グループの社員約4万人が3年ほどかけて訪れる計画という。
同施設は一般非公開で、社員のほか、遺族や負傷者、当時救護に当たった警察、消防関係者、他の運輸事業者の安全担当者に限り訪問できる。今後の公開については、遺族や負傷者の間でも賛否が分かれており、JR西は「慎重に検討する課題」としている。(岩崎昂志)
【尼崎JR脱線事故】2005年4月25日午前9時18分ごろ、尼崎市のJR宝塚線塚口-尼崎間で、7両編成の快速電車がカーブで制限速度を超えて脱線し、沿線のマンションに衝突した。乗客106人と運転士が死亡し、493人が重軽傷(神戸地検調べ)を負った。JR西日本の歴代4社長が業務上過失致死傷罪に問われたが、いずれも無罪判決が確定した。事故現場周辺には18年に「祈りの杜(もり)」が整備され、25年12月には事故車両保存施設が大阪府吹田市に完成した。























