太平洋戦争が終わると、焼け野原の神戸・三宮や元町に全国屈指の闇市が誕生した。省線(現JR)の高架下や沿線に店がひしめき「何もなかった時代に、高架下には何でもあった」という。戦後81年、当時を知る世代が減り、闇市を起源とする旧元町高架通商店街(通称・モトコー)でも改修が進む中、街にわずかに残る面影は消えつつある。(段 貴則)
「どう生きていったらいいんや」
森茂さん(97)=神戸市灘区=は、16歳の誕生日を鮮明に覚えている。1945年8月15日。戦争は終わったが、父を神戸空襲で亡くし、異母妹2人と戦後の混乱の中に放り出された。
当時、森さんは商業拓殖学校3年生。「制服は紙製で、こよりでこさえていた。戦時中は甘い物を食べたこともなく、本当に何にもなかった」
戦後も食料・物資不足は続いた。疎開先から戻る人も増えていく中で、極限の混乱を生き抜こうとする人たちのエネルギーは、統制違反の物資が並ぶ闇市を生み出した。三宮では9月、省線高架下で法外な値の揚げまんじゅうが売られ始めたという。
森さんは「終戦から半年もしないうちに、石炭箱を並べて上に板を渡し、ゴザを敷いて営業する店が増えていった」と振り返る。やがて三ノ宮-神戸間約2キロの高架下や沿線に露店や立ち売り小屋などが並んだ。特に、元町駅以東は「三宮自由市場」と呼ばれ、約1500店が軒を連ねた。
「お金がないから闇市をウロウロするだけ」だったという森さん。戦後の窮乏期に、並ぶ品物すべてに驚いたという。ある日、亡くなった親族の背広を闇市に持っていった。そのお金で買ったのが、揚げまんじゅう。「あんこが入っていて、あげまんは本当においしかったなあ」
取り締まりが強まり、三宮自由市場は47年中には撤去・移転となった。元町駅以西では闇市が発祥とされるモトコーが形成された。狭い通路に多くの店がひしめき「モトコーにない物はない」と言われるほど、闇市さながらに宝探しのような買い物が楽しめた。
モトコーも耐震化などの改修が進み、今年3月には最後の区画1~2番街が閉鎖。6月には通路もふさがれた。森さんは「当時を語る人も少なくなった。戦争や闇市の記憶をとどめた場所が消えていくのはさみしくなる」と話している。
























