元気だった頃のカッピー。表情が豊かな馬だった(王子動物園提供)

 神戸市灘区の王子動物園で、1頭の雌馬が死んだ。30年にわたって親しまれてきた「カッピー」。完治が見込めない症状を抱え、苦しみ、それでも生きようとした最期は、最愛の飼育員に見守られての安楽死だった。(羽生岳志)

飼育員の原野唯華さんが差し出す葉っぱを食べるカッピー。食事が大好きだった(王子動物園提供)

 6月8日朝の開園前、コアラ舎の南側にある「ふれあい広場」。飼育小屋に全6人のスタッフと園の獣医6人が入れ替わり立ち替わり出入りしていた。

 前日に容体が急変したカッピーを囲んでの緊急の話し合い。馬の「第二の心臓」と言われるひづめに「蹄葉炎」という病気を抱え、自力で立てなくなっていた。

 寝返りも打てない。瞳が揺れ、体がけいれんしている。グリーンスムージーを口元に持っていっても、反応しない。9年前から世話をする原野唯華さん(29)は「私の知ってるカッピーは、もういない」と思った。

 年齢は、30歳。25~30年とされる馬の平均寿命からすると相応なのだろう。だが、この日が来るのを覚悟していた飼育員の思いは一致していた。

 「少しでも長く生きてほしい」

 命をつなぐだけなら、できないことはない。ただ、目の前で苦しむカッピーが、カッピーらしい姿だと言えるのか。

 王子動物園では、馬をはじめとする飼育動物に対し、「生活の質が大きく低下し、回復の見込みがない」などの基準を設けて安楽死を認めている。

 獣医を交えての話し合いが続いた。一人ずつ、意見を述べていく。12人全員の意見を踏まえ、午前11時ごろ、園として安楽死を決めた。

 正しいのか間違っているのか、納得できるのかできないのか、原野さんも分からなかった。ただ、呼吸が荒くなるカッピーを前に「命をつなげることだけが、生きることじゃない」と思ったことを覚えている。

 言い聞かせようとしたわけではない。ふっと浮かび、体と心になじんだ思いだった。

マットに寝転び、ひなたぼっこを楽しむカッピー(王子動物園提供)

 カッピーの誕生は、1996年1月。王子動物園で飼育されていた果下馬の雄「チーチー」と雌「シャンシャン」の間に生まれた。

 中国原産で、馬の中でも小柄な種。人がまたがったまま果樹の下を通れるというのが由来とされる。成長したカッピーも、地面から背中までの高さは1メートルほどしかなかった。

 馬の小型種といえば、ポニーが一般的。そもそもあまり飼育されておらず、日本動物園水族館協会の加盟施設で飼育されている最後の1頭だったという。

 その性格は、良く言えばマイペース。食べることが大好きで、餌の時間がずれ込むと、鼻をブルブルならし、前脚を高く上げて催促した。

 逆に、餌を欲しがっていないときに与えると「ちゃぶ台返し」のように皿を払いのける。屋外でひなたぼっこをしたいときは、小屋の壁やドアを蹴って「外に出せ」とアピールする。表情豊かで、ツンデレな面が、入園者の人気を集めた。

 そんなカッピーを、現在のスタッフで最も長く、「専任」のように温かく見守り続けた原野さん。「頑固でわがままなおばあちゃんって感じ」と在りし日を振り返る。

蹄葉炎を発症したカッピーのために加工した蹄鉄と中敷き=王子動物園

 2025年6月、カッピーは両前脚の蹄葉炎と診断された。ひづめの骨が本来の位置から少しずつ沈み、炎症を起こして溶けていく。歩くたびに脚に激痛が走り、治療を施しても完治は極めて難しい。

 脳の下垂体の機能に障害が発生するPPIDという病気も併発していた。老齢馬の約2割が発症するとされ、蹄葉炎の悪化を助長する。時間がたてばたつほど、自力で歩いたり、立ち上がったりすることが困難になる恐れが高まった。

 歩行で血液を循環させる馬にとって、歩けなくなることは致命的だった。蹄葉炎と診断された段階で、安楽死という選択肢も獣医から伝えられていた。

 原野さんら飼育員は、無理に命をつなげるのではなく、「カッピーらしく生きること」を最優先に接することにした。病状を考えれば、立って歩く、食事をするということだけでも奇跡的な状態だったからだ。

 だが、治療やケアを諦めたわけではない。

 原野さんは、サラブレッドのひづめの治療に使うシューズをカッピーのサイズに合わせて小さく加工。中敷きに滑り止めのゴムマットを付けて履かせた。飼育小屋には、脚をつって休ませるためのハンモックも自作した。

 全ては、脚への衝撃を少しでも和らげるため。マイペースなカッピーが、全ての「器具」を嫌がることなく受け入れた。

 原野さんへの信頼があったのだろう。ただ、もともと新しもの好きのカッピー。単なる好奇心だった可能性もある。

原野唯華さん(右)が手作りしたハンモックで脚を休めるカッピー(王子動物園提供)

 季節は移ろい、2026年が明けた。落ち着いていたカッピーの症状が、一気に悪化する。

 小屋のドアを開けても、外に出ようとしない。自力で歩いたり、横になったり、座ったりできなくなっていく。

 だが、これまで通りの生活をしたいという明確な意思を表情で訴えた。餌を食べたい、昼寝がしたい、ひなたぼっこがしたい。

 飼育員は、求めに応じて介助した。馬の中では小柄で、体重はピーク時から30キロ以上落ちていたが、それでも130~140キロ前後。5人がかりで、抱えるようにして小屋から連れ出したこともあった。

 入園者の視線も、変化していった。園は2月、カッピーの公開をやめ、脚の治療に専念させると公表。当初は「かわいそう」という言われることもあったが、「頑張って」「応援してるよ」という励ましに変わり、その数は日を追うごとに増えていった。

 3月、園内の桜がほころんだ。一時的ではあったが、自力で立ち上がり、獣医を驚かせた。穏やかな日常が続いた。

 6月6日も、そう。大好きな食事と午後のひなたぼっこを楽しんだ。いつも通りの一日だった。

 閉園後、原野さんはお手製のハンモックを整え、牧草を餌皿に入れた。「明日は休みだから、またあさってね」と声をかけ、飼育小屋を後にした。

カッピー専用のシューズ=王子動物園

 翌6月7日の午前8時前、「カッピーが急変した」という園からの電話で原野さんは飛び起きた。身支度も気にせず、カッピーのもとへ駆けつける。

 体の左側を下にして横たわり、自力で動くことも困難だった。目を合わせることもできない。

 寝たきりになると、内臓が正常に機能せず、腹部に激痛が走るようになる。いつ命を落としてもおかしくない。

 「望みは捨てず、積極的に治療する。ただ、安楽死の選択を現実的に考えてほしい」。血液や血圧、脈拍を調べた獣医からは、そう伝えられた。

 原野さんは、判断に迷った。蹄葉炎と診断されて以降、危険な状況に陥ったことは何度もあったが、そのたびに一緒に乗り越えてきた。今度もきっと乗り越えられると信じていた。

 点滴と抗生物質を投与し、わずかに症状が和らいだ。横たわりながら、原野さんを見つめるカッピー。餌を欲しがっていた。生きようとしていた。

 泊まり込んで看病を続けた。3時間おきに寝返りを打たせ、痛む腹部に赤外線を当てて温めた。カッピーの体に触れながら語りかけた。

 「さんざん、あなたのわがままを聞いたんだから、1日ぐらい、私のお願いを聞いて頑張って」

 口調は努めて元気よく、普段通りを意識して。自分を奮い立たせるためではない。察しのいいカッピーに、悟られないためだった。

カッピーがいた「ふれあい広場」の飼育スペース=王子動物園

 安楽死の処置は、6月8日の閉園後に行われた。

 別れの時。過去に関わった飼育員も集まってきて、一人ずつ触れ合っていく。

 最後が、原野さん。頰をなでると、無反応だったカッピーが目を合わせ、そしてまぶたを閉じた。今までで、一番安らかな表情に見えた。

 午後6時6分、原野さんの膝の上に顔を乗せ、カッピーは永い眠りに就いた。

 最後に見つめ合った時、カッピーは原野さんに何を思ったのだろう。死が間近に迫っていることを悟っていたのだろうか。

 その本心は計り知れない。そもそもの安楽死という判断の是非についても、答えは出ていない。

 一夜明けた6月9日、開園直後に「カッピー、どうしてるの」とファンから声をかけられた。カッピーの死は、まだ公表していない。偶然ではあったが、たくさんの人が気に懸けているのは確かだった。

 原野さんは、王子動物園のスタッフブログに思いをつづり、その日のうちにアップした。蹄葉炎と診断されてからの1年間を中心にまとめた6千字超に出てくる「カッピー」の4文字は、74カ所に上る。

 その文章の終盤、カッピーの姿に原野さん自身を重ね合わせた、こんな表現がある。

 「できることを、できるだけ、今日も大切に生きること」

入園者から寄せられたメッセージ。女性のファンが多かったという=王子動物園