兵庫県豊岡市の港東小学校と港西小学校が統合して新たに開校した港小学校(同市気比)。7日の開校式に集まった児童77人は、全員で校歌を斉唱した。新しい学校なのに全員が校歌を歌えたのは、両校の校歌のメロディーが同じだったからだ。二つの学校の校歌が同じというのは全国でも珍しいとみられ、大人たちからは「100年以上も前から統合することを見越していたのでは」などと臆測が飛び交うが、調べてみると地域の特性が現れていた。
両校はいずれも1874(明治7)年に開校。直線距離では1・3キロと近く、同じ港地域にあり生活圏も同じだが、広い川幅の円山川を渡し船で渡る必要があり、当時は児童数も多かったため、二つの学校が開校された。
両校のほとんどの児童は同じ港認定こども園を卒業して、同じ港中学校(同市気比)に進学していく。交流も多く、特に近くの絹巻神社で行う相撲大会は伝統行事になっている。
今回の統合は、両校の児童数がそれぞれ50人以下になり、複式学級となる学年も出てきていることから、2020年2月、両校の保護者らが「できるだけ多様な考えに触れて切磋琢磨してほしい」として要望。港東小の校舎を活用し、港西小の児童はバスなどで橋を渡って通学することに。
統合に向けた話し合いの中で、校歌も同じメロディーであることから“統合”することになった。
両校の歌詞は4番まであり、1、4番が共通。2、3番に「気比の宮山 絹巻の」「松の緑と瀬戸の青」などと、東と西のそれぞれの地区名などが盛り込まれている。
統合した校歌は、共通部分を1、6番とし、2、4番に港西小、3、5番に港東小の歌詞を割り振った。
2006~08年度に港西小校長を務め、「川柳灯台」の編集長を務める橋岡進一さんによると、学制が敷かれた1872(明治5)年当時は「1町村1校」が基本だった。「港村」は地域が円山川で東西に分かれており、渡し船で行き来していたことから、「1町村2校」が認められた可能性があるという。
1954(昭和29)年、両校の80周年に合わせ、「城崎郡港村立港西港東小学校」の校歌が作られた。港村が当時の豊岡市に合併される前年のことで、橋岡さんは「1町村1校の精神や一体感を忘れないよう、共通の校歌が作られたのではないか」とする。校歌の2~5番では、港小校区にある7地区の名勝が歌い上げられるが、学校ごとに歌い分けていたのでは、とのことだ。
開校式では6番までの長い校歌に息を切らしながらも元気いっぱいに歌いあげた。1~4番はそれぞれ競い合うように母校の歌詞を歌い、最後は「朗らなり 東と西と呼びかわし 波高き日も よき子らは 希望明るく 競い合う 学べ 尊べ 尊べ ああ わが母校」と締めくくった。

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