兵庫県豊岡市を訪れた人たちが自動車を運転していて驚くのではないか、と思う光景が二つある。一つは、電柱の上にたたずむ大きなコウノトリ。もう一つは、水田の中に現れるプロレスラー武藤敬司さんの看板だ。「新日本プロレス」で蝶野正洋さんや故橋本真也さんとともに闘魂三銃士として活躍していたことや、最近も長州力さんとのテレビ出演などが話題になっていることで、プロレスに詳しくない私でも知っている有名レスラー。斜め上を見上げる表情は爽やかだが、出身地でもないはずの豊岡になぜ武藤さん？（石川　翠）

　看板の近くで高齢女性に尋ねると、「ああ、武藤さんね」と返事が返ってきた。ご存じかと思いきや、「看板の裏側に武藤さんの焼き肉店って書いてある」と話す。たしかに裏側に回ると「武藤敬司プロデュース　武藤道場」と書いてある。

　看板を立てたのは、但馬地域を中心に飲食店を展開する「スタミナグループ」の中核会社「スタミナフードシステム」（豊岡市中陰）。プロデュース店は、武藤道場豊岡店（同市野田）と焼肉武藤和田山店（朝来市和田山町枚田岡）、武藤道場峰山店（京都府京丹後市峰山町）の３店舗。

　豊岡店に行くと、「プロレスは僕もあまり詳しくないんです…」と申し訳なさそうに森山順一郎社長（４３）が案内してくれた。

　入店するとすぐに「ＵＮヘビー級」「インターナショナルヘビー級」などと書かれたチャンピオンベルトが並べられている。

　食べ放題コース用のサラダバーの前には、ショーケースが設置され、武藤さんがリングに登場する際に羽織っていた白いマントなどが並ぶ。なぜかジャイアント馬場さんのゴルフシューズも陳列されている。

　米国のプロレス界で悪役「グレート・ムタ」として名をはせた時代の武藤さんの衣装は５０万円で販売中。決めポーズをしたかわいい熊のキャラクター「武藤ベアー」のグッズコーナーもある。

　現在は新型コロナウイルス感染拡大で休止中だが、毎年数回武藤さんの来店イベントもあり、プロレスファンでにぎわうという。

　当初のメニューには必殺技の名称にちなんだ「シャイニングウインナー」「しゃきしゃきパワーボム」などもあったが、「普段はプロレスファンは多くなく、地元では食べ放題の店として定着している」と森山社長。

　本題である店舗名の由来を森山社長の父親で会長の良実さん（７１）に尋ねると、焼き肉店に「メジャーな名前を付けたい」と武藤さんに打診したことが始まりだったという。若い頃は「テレビでアントニオ猪木を見る程度」だったが、知人に誘われて興行の会場に行くうちに夢中になり、選手とツーショットを撮ることが趣味になっていったという。

　これまで撮影した選手は４５０人以上。武藤さんが新日本プロレスのＩＷＧＰヘビー級王者となった２００８年に１号店の和田山店をオープンした。

　実は「試合は見ない」という良実さん。「とにかく裏方も含めて応援したい」と、豊岡市内で興行が行われる際には、リング設営のスタッフなど全員を呼んで料理を振る舞う。

　良実さんは１８年に白血病を発症。７カ月間の闘病生活の間にも、多くのプロレスラーや関係者が見舞いにやって来た。おかげでつらい抗がん剤治療も乗り越えられたといい、一言ずつ書いてもらった１００を超えるミニサイズの色紙を宝物にしている。

　新型コロナウイルス感染症で店が大きな打撃を受けるさなか、今年４月に病気が再発し、大きな不安を抱えながら病院で過ごしていたが、面会禁止の病床にも多くのメッセージや差し入れが届いた。「病気と一緒で、コロナともうまく付き合いながら新たな挑戦をしたい」と気持ちも立ち直ったという。

　新事業展開のアイデアを巡らせ始めた良実さん。次のラウンドへのゴングが鳴った。