朝来市観光協会は、同市和田山町竹田にあった竹田城の最後の城主、赤松廣秀公の「武将印」を発売した。武将印の販売は同市で初めてで、竹田城跡の魅力発信と、廣秀公の人柄の周知を狙う。
廣秀公は同城跡に残る現在の石垣を建造したほか、養蚕業や漆器の奨励による産業振興、治水事業などを進め、領民から慕われていたとされる。1585年、廣秀公は竹田城主となるが、1600年、関ケ原の戦いの一環となる鳥取城攻めで城下町を焼き払ったとして切腹を命じられ、竹田城も廃城となった。
朝来市観光協会は、同市和田山町竹田にあった竹田城の最後の城主、赤松廣秀公の「武将印」を発売した。武将印の販売は同市で初めてで、竹田城跡の魅力発信と、廣秀公の人柄の周知を狙う。
廣秀公は同城跡に残る現在の石垣を建造したほか、養蚕業や漆器の奨励による産業振興、治水事業などを進め、領民から慕われていたとされる。1585年、廣秀公は竹田城主となるが、1600年、関ケ原の戦いの一環となる鳥取城攻めで城下町を焼き払ったとして切腹を命じられ、竹田城も廃城となった。