「加古川を三宮のようなまちにしたい」。人口が右肩上がりだった1980年代の加古川市。東播磨の中核都市として、地域の表玄関となる加古川駅前を便利でにぎわう場所にしようと、市や加古川商工会議所、周辺の地権者らは開発構想を進めた。駅直結の百貨店を設け、周囲に地下街を広げたい。同商議所の滝川松男会頭(故人)を中心に大きな青写真が描かれた。
当時の加古川市は山陽本線が引かれていたものの、道路網や公共施設の整備はこれから。市は「産業や文化の調和のとれたまち」を掲げ、82年の駅南のサンライズ加古川ビルのオープンを皮切りに、駅前広場の拡充、駅の高架化と、開発の歩みを進めていく。
■駅南真正面のビル建設には賛否が割れた























