10回続きの(6)
10回続きの(6)

 舞台、映像で約70年にわたり、主演し続けてきた俳優・浜木綿子。開場から舞台に立つ東京・日比谷の2代目帝国劇場は建て替えのため2月末に幕を閉じた。浜の航跡を人との出会いを軸にたどる。

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 浜木綿子は1961年4月、東京宝塚劇場での雪組公演「残雪」と「華麗なる千拍子」で宝塚歌劇団を退団した。

 「『華麗なる千拍子』の時、娘役はお払い箱というぐらい、スターの男役がみんな女役を演じました。私はすでに退団を決意していましたから、ちょうど潮時でした。『さあ東宝に行きましょう』と」

 転籍後に初出演したのが、6月の東京宝塚劇場公演「野薔薇の城砦」。同年に松竹から東宝に移籍した八代目松本幸四郎(初代松本白鸚)、六代目市川染五郎(二代目白鸚)、中村萬之助(二代目中村吉右衛門)と共演し、染五郎の相手役で、アイヌの娘を演じた。

 「宝塚で春日野八千代さん、明石照子さん、寿美花代さんという清潔感があってきれいな男役の相手役をしていたものですから、男性だったらどんな気持ちになるのかと心配しましたが、染五郎さんは本当にすてき! 憧れましたね」

 染五郎とは多く共演したが、ことに印象に残るのが、62年の東京・芸術座公演「悲しき玩具」(菊田一夫作・演出)。染五郎の石川啄木と北海道・釧路の宴席で知り合って恋に落ちる芸者小奴を演じた。「『芸者役は初めてなのでできません』と菊田先生に言いますと、『いいんだ。垢抜けない田舎芸者だからおまえにぴったり』。『へぇっ』と思いながらも方言は情緒があって大好きなので心はずみました」

 姿も工夫した。「かつらを大きめにして着物をだらっと着て汚く笑ってみました。出番は少なかったのですが、とても皆さんに愛された役でしたね」。この演技で、芸術祭奨励賞を受賞した。(小玉祥子・演劇評論家)

※10回連載の6回目です。次回は1週間後にUPします。

【略歴】こだま・しょうこ 1960年、東京生まれ。全国紙演劇担当を経て演劇評論家に。主な著書に「艶やかに 尾上菊五郎聞き書き」「完本 中村吉右衛門」など。