戦争を直接体験した人、戦後間もない時代を生きた人たちが年々少なくなっていく。その現実は、戦争体験を継承しようと活動する各地の団体に大きな壁として立ちはだかってきた。語り部不在の未来に、私たちは何を、どう伝えていくのか。太平洋戦争の終戦から78年、不戦を誓う日に、あらためて体験を語り継ぐ意味を考えたい。
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10年前の8月15日、神戸市中央区の大倉山公園で神戸空襲の犠牲者の名前を刻む「いのちと平和の碑」の除幕式があった。当時、市民団体「神戸空襲を記録する会」の代表で、2021年に75歳で亡くなった中田政子さんはこう呼びかけている。
「刻まれた名前の向こうに命があります。碑の空白部分の意味を想像してみてください。この場所が若い世代に命と平和の大切さを伝える場になるよう願ってやみません」
1971年に発足した同会が神戸市などの協力を得て建立し、現在までに2231人の名前が刻まれた。神戸空襲では8千人以上が亡くなったとされるが記録は乏しく、被害の全容は分かっていない。碑に大きな空白が残っている理由である。
中田さん自身は45年3月17日の空襲で大やけどを負った母の胎内にいた。直接体験していない自分が代表を引き受けることへの葛藤を折に触れ語っていた。一人一人の命の証しを忘れないために記録し、次世代に引き継ぐ-。その言葉は碑を新たな出発点として未来に生かす決意だったろう。同会は犠牲者名簿の収集を続け、戦跡ウオークや学校での平和学習、他団体との連携など市民目線で活動を広げていった。
若者に託された希望
今年7月、記録する会は神戸市内で「空襲・戦災体験を次の世代に引き継いでいくために」をテーマにシンポジウムを開いた。核廃絶を求める署名活動などに取り組む「高校生平和大使」や研究者、新聞記者らを招いた。会の在り方そのものを開かれた場で問う、初の試みだった。
昨年平和大使の兵庫県代表を務めた高校3年の長冨日向さん(17)は今年6月、小学校で戦争や核問題について話した経験を紹介した。いつもは被爆者や戦争体験者の話を聞く側で、自分が語ることに戸惑いもあったというが、子どもたちは想像以上に熱心で授業後に質問してくる子もいた。「知りたい気持ちが伝わってきて、戦争を知らない私たちが語る意味はあると分かった」
記録する会の資料整理も手伝い、「空襲という出来事が一人一人の身に起きたことだと実感し、記録する責任も感じた」と話した。自ら学び行動する若者たちの真摯(しんし)な姿に、会場の期待感が膨らむのが分かった。
一方で、戦争の悲惨さから人々の目をそらすような社会の動きを危ぶむ発言もあった。広島市教育委員会は本年度、漫画「はだしのゲン」を平和教育の教材から削除した。ロシアのウクライナ侵攻や安全保障環境の変化を理由に政府は防衛費の大幅増額を決めた。軍事利用可能な人工知能など最新技術の開発に国を挙げて取り組む空気も高まっている。
若者に託すだけでなく、一人一人が継承の主体として、どんな社会を望むのかが問われている。
手の届く活動の場を
野坂昭如さんの小説の舞台となった阪神間を訪ねる「火垂(ほた)るの墓を歩く会」が結成25年を迎えた。毎夏に開催し、100人を超える回もあった。新型コロナウイルス禍での休止を経て再開後は、酷暑の夏を避け、少人数の予約制で隔月で開催し、希望者は途切れることがない。
当初からのメンバーで、記録する会世話人の一人でもある尼崎市立歴史博物館の辻川敦さん(63)は「声高に平和を叫ぶのでなく、参加動機も体験も異なる人たちが戦争と平和にそれぞれの思いをはせる場として共有できている」と分析する。
一人一人が学び、つながり、考える。その一歩を踏み出すきっかけになる場所、手の届く活動、多世代に開かれた交流の機会を、地域の中に増やしていく必要がある。























