水俣病特別措置法によって救済されなかった新潟市などの47人が、国と原因企業の旧昭和電工(現レゾナック・ホールディングス)に損害賠償を請求した訴訟で、新潟地裁が26人を水俣病と認める判決を言い渡した。原告のうち2人は、判決までに行政から患者認定を受けた。
同種の訴訟では、昨年9月の大阪地裁判決が原告全員を水俣病とし、国などに賠償を命じた。今年3月の熊本地裁判決も、発症から20年で損害賠償請求権が消える「除斥期間」を理由に請求を棄却したものの、一部原告の罹患(りかん)を認めた。
これに続き、新潟地裁が新たな患者の存在を指摘した意味は大きい。国と原因企業は一連の司法判断を重く受け止め、被害者の救済が不十分だと自覚しなければならない。
新潟水俣病は1965年に公式確認された。68年、新潟県鹿瀬(かのせ)町(現阿賀町)の昭和電工鹿瀬工場が排出したメチル水銀によるとして、国が公害病に認定した。排水は阿賀野川に流れ、川魚を食べた住民が発症した。チッソが水銀を流した不知火(しらぬい)海の魚を食べ、水俣病になった熊本、鹿児島両県の患者と同様だ。
新潟の被害者には、差別や偏見を恐れて特措法による救済を申請できなかったり、体調不良が公害と結びつかなかったりした人が多い。この経緯も九州の被害者と共通する。
請求を退けた熊本地裁と異なり、今回の判決は、除斥期間を適用すると「著しく正義・公平の理念に反する」として原告の賠償請求権を認めた。救済を求められなかった被害者の事情をくんだ判断と言える。
一方で新潟地裁は、地元医師による「共通診断書」で水俣病と判断するのは困難とした。国側は神経内科医でなければ診断はできないと主張し、判決も公的検診の結果を重視した。住民を日々診察し、生活環境も熟知する主治医らの証言を採用しなかった姿勢には疑問が残る。
熊本などの水俣病訴訟では、被害拡大を防げなかった国の責任が最高裁でも認められた。ところが新潟水俣病の訴訟では過去に国の責任を認めた判決はなく、今回の新潟地裁も「国は健康被害が生じると認識・予見できなかった」と述べた。
しかし当時の通産省は、熊本での公式確認後の59年、チッソ水俣工場と同じアセトアルデヒドを製造する全国の工場を調査した。昭和電工もこの物質を生産しており、効果的な予防措置を怠った責任が問われない点は理解に苦しむ。
全国の被害者は高齢化し、亡くなった人も少なくない。特措法は「あたう限りの救済」を国などの責務とする。国は速やかに、現状よりも幅広い救済に踏み出すべきだ。