火の国の空は今日も青い。病室での面会時間は15分。その日あったことや、これからのことを話すと、ベッドの弟は、うなずいたり首を振ったりと意思表示する。つまらない冗談には「やめろよ」と言わんばかりのまなざしを向ける。ずっと2人で闘ってきた。言葉はなくとも、何を考えているのかはわかる。
世界ボクシング評議会(WBC)ミニマム級元王者の重岡優大は今年8月、自身のインスタグラムで引退を表明し、故郷の熊本へと戻った。記者会見も10カウントの引退セレモニーも行わず、二つ年下で国際ボクシング連盟(IBF)世界ミニマム級前王者の重岡銀次朗を支えるために。
今年5月24日。銀次朗は奪われた王座をかけて、大阪市で行われた世界戦に出場し、フィリピン人王者に1-2で惜しくも判定負けを喫した。青コーナーで見守った優大は、判定を聞いた弟の顔をタオルで拭いながら異変に気づいた。
話のキャッチボールができず反応が薄い。ダウンもせず気になる場面もなかったが、「脳にダメージがあるかもしれない」と直感した。「このままいびきをかき始めたら(危ない)と思った」。力が抜けたようにコーナーにもたれかかる銀次朗に「おい、銀!返事して」「ここで(気持ちを)切らすな。集中しろ。最後まで頑張れ!」と叫び続けた。「寝るな、寝るなよ」。人だかりから担架を守る兄の声が、観客の耳にも届いた。
救急搬送された銀次朗は、急性右硬膜下血腫と診断され、開頭手術を受けた。硬膜下血腫は、頭蓋骨の下で脳を覆う硬膜と脳の間に出血して脳を圧迫する。手術で血腫を取り除くことが必要だが、その状態によって生命の危険がある。
集中治療室(ICU)。両親と祖父母、姉、妹、銀次朗の恋人は、横になることもできず、いすに座って朝も夜も過ごした。手術には3日ほどかかった。暗闇のように感じたICUで、皆が言葉を失っていた。
優大が引退を決めたのは、その「カオスのような」時間だ。まだ28歳。自身も再度世界を目指すために階級を上げる予定だった。志半ばで倒れた弟の分まで、闘い続ける力は残されていた。
しかし、迷わなかった。自分は、自分たち兄弟は、なんのために闘ってきたのか。「みんなを喜ばせたくてボクシングをやってきたのに」。死線をさまよう弟の前で出した結論は、自分も静かにグローブをつるすことだった。
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2024年2月、真正ジム(神戸市東灘区)に所属し、日本バンタム級王座戦で判定負けした穴口一輝が、試合後の開頭手術の末に亡くなった。これが国内で10年ぶりの死亡事故だった。日本ボクシングコミッション(JBC)など関係者が再発防止に取り組む中、悲劇から1年が過ぎた今年、5月に重岡銀次朗が開頭手術を受け、8月の東京・後楽園ホールでは一つの興行で日本ランカーの2人が命を落とした。
同一興行で2人が亡くなるという異例の事態は、海外でも報じられた。今、日本ボクシング界で何が起こっているのか。事故はなぜ起こるのか。再発防止策と競技の未来を考える。=敬称略=(船曳陽子)
























