環境省が水俣病患者・被害者団体との懇談の場で被害者側の発言を遮った問題で、伊藤信太郎環境相が熊本県水俣市を訪れ、被害者側に直接謝罪した。
懇談は1日にあった犠牲者慰霊式の後に開かれ8団体が出席した。各団体3分の持ち時間を過ぎると、環境省職員が発言を制止したり、発言途中でマイクの音を切ったりした。
患者・被害者団体に集まってもらい、大臣が直接話を聞く貴重な機会のはずだ。にもかかわらず環境省側の都合で制限時間を設け、被害者の発言を機械的に遮ることにちゅうちょはなかったのか。長年苦しんできた被害者を軽視する行為であり、許すことはできない。患者団体側が「被害者たちの言論を封殺する暴挙だ」と強く抗議したのは当然だろう。
懇談は毎年の犠牲者慰霊式後の恒例となっている。持ち時間が過ぎればマイクの音声を切る場合がある、との運用は「代々の引き継ぎ事項」などと環境省側は説明するが、実際に発言中にマイクが切られたのは今回が初めてという。参加者には事前に知らされていなかった。
伊藤氏は当初、「話は聞こえており、マイクが切られた認識はなかった」と釈明していた。だが会場には気づいて抗議する参加者もいた。心から被害者の話を聞く気があれば、その場で職員をいさめ、引き続き発言を促すこともできたはずだ。
謝罪まで1週間を要したのも、世論の批判が高まったためだ。後手後手の対応が被害者との溝を深めた。環境相としての自覚に欠け、責任は重い。岸田文雄首相は伊藤氏に対し厳重注意したが、更迭は否定した。猛省し、自らの役割と責務を再認識する機会としてもらいたい。
伊藤氏はきのうの国会で、再び懇談の場を設けると表明した。今回のように環境省が設定した3分では、長年の苦しみを語るには短すぎる。対話が形式的な行事になってしまっていた面も否めない。運営方法を含めて真摯(しんし)に被害者の声に耳を傾け、信頼回復に努めねばならない。
環境省の前身となる環境庁は1971年、戦後の経済成長を優先させる中で健康被害を広げた公害問題の再発を防ぐために発足した。「公害問題の原点」とされる水俣病は「環境行政の原点」でもある。被害者の声を聞き、解決策を講じるのが省として本来の使命である。
大臣の謝罪で終わりではない。
昨年来、水俣病特別措置法で救済対象から外れた人たちを水俣病と認める地裁判決が続く。公式確認から68年がたっても被害の全容は解明されず、救われない被害者が数多くいる。環境省は創設の原点に返り、幅広い救済の道を本気で探るべきだ。