小学生5人が次々と襲われた神戸連続児童殺傷事件で、6年生の土師(はせ)淳君が亡くなってから丸27年となった。「同じつらさが繰り返されないように」。父親の守さんらは深い悲しみを抱えながら被害者の支援を訴えてきた。その願いに応え、さらなる拡充や改善を図る必要がある。
事件当時、犯罪被害者や家族を支える仕組みは皆無に等しかった。事件の恐怖や肉親を失った絶望で働けなくなっても補償は何もない。土師さんらは被害者団体を設立し、支援制度の充実を粘り強く求めてきた。
兵庫県は4月、犯罪被害者等支援計画に基づき、府県単位では関西初となる被害者や遺族への見舞金制度を始めた。不安や悩みを受け止める相談窓口も昨年10月に開設した。
国の支援策でも、遺族や障害の残る被害者への給付金の大幅な引き上げ案が示された。27年前に比べれば大きな一歩といえる。
しかし課題も残されている。支払い能力のない加害者に代わり損害賠償金を立て替える制度や、被害に遭った児童生徒への教育支援などは実現していない。生活や心の立て直しに必要な支援はまだ足りていない。
犯罪被害は誰でも遭遇する可能性がある。セーフティーネットを広げていく活動を、いつまでも被害者に任せきりにするわけにはいかない。私たち一人一人の問題として捉えなければならない。
犯罪で大切な人を亡くした家族に共通する思いがある。「なぜ命を奪われたのか」との問いだ。納得できる答えを得られなければ、事件を乗り越えるのは困難だ。
土師さんは、加害者の手紙と裁判記録からその答えを探ろうとした。加害男性が命日の前に送っていた手紙は、2015年に事件に関する手記を無断で出版した後、途絶えた。
少年審判の記録は01年に一部の閲覧や複写が被害者に認められるようになり、08年には傍聴も許された。だが神戸の事件は対象外だ。22年には全記録廃棄が発覚し、土師さんが目にする機会は永遠に失われた。
事件の教訓をどう生かしていくのか。裁判所は記録の価値に対する認識が著しく欠けていたと言わざるを得ない。信頼回復には、被害者の心情に真摯(しんし)に向き合う必要がある。
最高裁は廃棄問題の検証を踏まえ、裁判記録について「国民共有の財産」とする理念を打ち出した。第三者委員会を設置し、国立公文書館での保存拡大などを検討する。
しかし単に記録を残すだけでは被害者の願いには応えられない。再発防止や被害者支援に資する貴重な資料でもある。加害者の更生に配慮しつつ、開示や活用の方法を含め、よりよい制度をつくり上げるべきだ。