2025年、団塊の世代が後期高齢者になる。介護離職や、働きながら介護するビジネスケアラーが話題の中、来る大介護時代をどう乗り切るか。介護保険制度が始まる前から新型コロナウイルス下までの約30年、親の介護を通して現場を垣間見た一人としてささやかな提案を試みたい。

 母は50代で脳出血を原因とする若年性認知症となり、二十数年に及ぶ私の遠距離介護が始まった。この間、9年にわたる父のがん闘病と死があり、私は主介護者として、さまざまな場面であらゆる責任を負うこととなった。

 一人では到底無理。ギブアップだ。フリーランスなので仕事は絶対に辞められない。そこで考えたのは、どれだけ周りに頼るかということだった。実家のある神戸のケアマネジャーら介護専門職の人々だけでなく、定期的に家を訪れる人々、たとえば新聞や生協の配達員、マンションの管理人らを、母を支えるセーフティーネットだと考えるようにした。何かあれば、きっと誰かが私に連絡をくれるはず。近所のカフェやレストランは、気分転換のためのリラクセーションスペースだと思うことにした。

■離職を防ぐチームづくりを

 被介護者を支える公的サービスを地域資源と呼ぶが、それだけでなく、民間サービスも含めて自分なりのネットワークを勝手に構築したのだ。私は介護計画のマネジャー。ものは考えようである。

 とはいえ、遠距離介護には限界が訪れる。介護者への暴言や根拠のない「物とられ妄想」が出るようになって、母を引き取る必要性に迫られた。オープン間もない東京の施設に母を移したのは、亡くなる3年前のこと。洗濯に通ううちにスタッフと言葉を交わすようになり、やがてその施設が実家だと思えるまでになっていた。

 多くを教えられた。おむつ交換の方法、ベッドから車椅子に移すときの支え方、トイレでの一連の動作など、介護の技術には介護者の負担を軽減するさまざまな工夫があることを知った。

 コミュニケーションについては、フランス発祥のユマニチュードに目を開かれた。「見る」「話す」「触れる」「立つ」といった当たり前の動作に働きかけ、介護が人と人の交わりであることを本人と介護者に思い出してもらう。目の高さを合わせてゆっくり話す。支えるときはいきなりつかまず、言葉をかけてそっと触れる。相手に迷惑をかけられていると思うと、目も見ずにひどい言葉を投げてしまうものだ。汚物まみれになったら本人が一番気持ち悪くて恥ずかしいのに、怒ったらどう感じるか。これまでの自分の一つひとつの行動を思い出し、反省することばかりだった。

 そんな日々に異変が生じたのは1年が過ぎる頃だ。オープニングに携わった介護士が相次いで退職し、入れ替わりが頻繁になった。慣れたと思ったら翌月にはいない。パジャマや靴下など、持ち物がなくなる事件も起きた。

 ある日、靴を履かせようとした介護士の手を母が振り払ったことがあった。車椅子に乗るのも嫌がった。理由はわからない。介護士は「もういや、やりたくなーい」とキレて部屋を出ていってしまった。私は追いかけて謝ったが、「アホアホって言われるし、なんでそんなこと言われなきゃなんないのよ」と怒られてしまった。

 あとで確認すると、2年目から派遣スタッフを採用するようになったらしい。人手不足だからいつでも辞めてやるという態度で働く人が増え、くだんの介護士はほかの入所者ともトラブルを起こし、辞めてもらうことになっているとのことだった。深夜に問題が起きたため、常勤スタッフが夜勤に入って派遣スタッフを監視するという異常事態も起きていた。施設長は、今のままではなかなか人が育たないと嘆いていた。これは氷山の一角ではないだろうか。

 こんな時こそ家族の出番だろう。コロナ下は別にして、一度も面会に来ない家族がいかに多いか。認知症の人は昨日のことすら忘れてしまう。それは毎日が新しいということだ。ご飯がおいしい、歌って楽しい、ヘアカットしてもらって気持ちいい、家族に会えてうれしい-。スタッフと家族は、そんな瞬間瞬間を生きる本人を支えるチームのメンバーだ。ふだんは施設にお任せでも、休日や仕事の合間に顔を見せるだけでどれだけ本人はほっとするか。その安心感がスタッフへの暴言や暴力を鎮め、スタッフもまた家族の信頼を感じて本人に丁寧に接することができる。事故や事件を未然に防ぐことにもなるだろう。

 先日久しぶりに三宮を散歩して、知らないビルや店ができていて驚いた。帰省といっても東京と実家を往復するだけ。復興の道のりを見る余裕もなかった。だが渦中の苦しさを含めて、介護が与えてくれる時間はかけがえのないもの。普通では得られない学びを修めた留学経験者のようだ。改正育児・介護休業法が成立し、従業員に支援制度を周知することが企業に義務づけられることになった。大事なのは意識改革だ。仕事をやめないでほしい。企業は研修に出したつもりで社員を見守ってほしい。彼らはきっと新しい人となって社会に貢献するはずだから。

(さいしょう・はづき=ノンフィクションライター)