自民党の裏金事件を巡る対応に終始した通常国会は、改正政治資金規正法の成立で事実上幕を閉じた。
再発防止を目指した法改正だが、迷走の末に多くの抜け穴が残った。政治資金の透明化どころか新たな裏金づくりの温床となりかねない。問われるのは、カネがかかる政治をどう変えるかである。これでは「政治改革」の名に値せず、深刻な政治不信を払拭するには程遠い。
世界が激動期に入り、日本社会も転換点に立つ今、高い理想と覚悟を持って政治の在り方を問い直す議論が与野党に求められている。
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今国会は、元日に発生した能登半島地震の被災者支援をはじめ、国の指示権を拡大する地方自治法改正、離婚後の共同親権導入など慎重に審議すべき課題は山積していた。だが、もたつく規正法改正論議の後景に追いやられてしまった印象だ。
「裏金国会」が浮き彫りにしたのは、法律をつくる立場にありながら、事件への反省もなく法の抜け穴を放置する議員の姿と、原因も責任の所在も曖昧なまま幕引きを図る自民の自浄作用の欠如である。
改正規正法が成立した日、就任後初の党首討論に臨んだ岸田文雄首相は、企業・団体献金や政治資金パーティーなどの禁止を主張する立憲民主党の泉健太代表に対し「政治にはコストがかかる。現実を見ない案であってはならない」と反論した。
では、首相が見ている「現実」とは何か。成立した改正法で分かるのは、自分たちに都合のよい資金集めの仕組みを温存するために弥縫(びほう)策に徹する自民の論理に過ぎない。
金のかからない政治
政治には金がかかる、とは「政治とカネ」の問題が起きるたびに使われる言い訳だが、本当か。政党には税金を原資とする巨額の政党交付金が国会議員数などに応じて分配されている。使途公開を見送った調査研究広報滞在費(旧文通費)もある。それでも足りないと言うなら、何にどれだけ使っているかを正直に公開するのが先ではないのか。
とりわけ、政党から議員に渡される政策活動費は使途公開の義務がなく「ブラックボックス」と批判されてきた。改正法は10年後の領収書公開を盛り込んだが、そこで不記載が発覚しても公訴時効の5年を過ぎており罪に問われない。監査する第三者機関の設置時期など制度設計の具体化は先送りされた。
パーティー券購入者の公開基準額は、公明党との修正協議で「20万円超」から「5万円超」に引き下げたが、自民党内からは「匿名の企業献金が集めにくくなる」と不満が漏れる。ただ何回かに分けて開催すれば非公開で集めることは可能だ。
政治家の責任を明確にするため、議員に収支報告書の確認を義務づけ、会計責任者が不記載などで処罰されれば公民権停止となる仕組みも導入した。だが確認の範囲が不明確で言い逃れの余地は残る。
首相や自民ベテラン議員らは「資金を自由に集められないと若い世代が政治を志せない」と言う。だがそうした前提自体が若者を政治から遠ざけているとは考えないのか。多様な人材の参画には「カネのかからない政治」の実現を目指すのが筋である。「カネで動く政治」のイメージを刷新しなければならない。
希望を取り戻せるか
首相や自民に決定的に欠けていたのは、政治の理想を掲げ、抜本的に改革しようとする熱量である。
リクルート事件をきっかけとした1994年の政治改革は、若手中堅議員らが「金権政治打破」を掲げ、選挙制度改革を柱に二大政党による政権交代可能な政治を目指した。小選挙区制の弊害など問題は多く、政治資金規正法にも今回の裏金事件につながる抜け穴が残った。だが政治家が理想を語り、政治は変わるという希望を国民に抱かせた。
自己都合優先の「理想なき政治改革」では国民の心は冷めるばかりだ。人口減少社会が直面する課題についても、政権への信頼なくして政策への理解は得られないだろう。
党首討論では、野党各党の党首が首相の退陣を求めた。立民提出の内閣不信任決議案には日本維新の会、共産、国民民主の各党が足並みをそろえ賛成した。首相は進退をかけて裏金問題の実態を解明し、法の穴をふさぐ努力を続けるべきだ。
首相に退陣を迫る以上、野党側も政権を担う意思とその道筋を明確に示し、準備を進める必要がある。政治に緊張感を生み、国民の信頼を取り戻すのは野党の責務でもあると肝に銘じてもらいたい。