東京高検検事長だった黒川弘務氏の定年を延長した2020年1月の閣議決定を巡る文書開示訴訟で、大阪地裁は政府が恣意(しい)的に国家公務員法の解釈を変更した可能性を認め、開示を命じる判決を下した。
当時の安倍晋三内閣は、40年以上維持されてきた「国家公務員法の定年延長規定は検察官に適用されない」との法解釈を変え、定年間近だった黒川氏に初適用した。首相官邸に近いとされる黒川氏を次期検事総長に就けるためではないかとの批判が高まったが、法務省は「特定の検察官のためではない」と否定してきた。それを覆す判決である。
訴訟は、神戸学院大の上脇博之教授が法務省内の協議の記録などを不開示とした国の決定の取り消しを求めて起こした。
政権の都合で法の解釈を曲げれば、法治国家の土台は揺らぐ。政権の意に沿う人物を要職に留め置けるようになれば、政治家の不正も捜査する検察の独立性を損ない、政治介入を許す恐れがある。
司法のそうした危機感の表れだろうか。判決は、争われた文書開示の可否にとどまらず、定年延長問題の背景にまで踏み込んだ。
閣議決定が黒川氏の退官予定のわずか7日前で、全国の検察官に周知されず、他に対象者がいなかったことから「黒川氏の定年を延ばす目的以外にあり得ない」と認定した。直ちに変更すべき社会情勢の変化もなく、徳地淳裁判長は「あまりに唐突で強引、不自然だ」と指摘した。
理にかなった結論である。政府は率直に誤りを認め、一連の経緯を国民に説明する責任がある。
一方で判決は、法務省と首相側とのやりとりを記録した文書の存在は認めなかった。「秘匿性が高く、文書が作成されない可能性も十分にある」との判断である。残念ながらこれでは、なぜ政権が定年延長を急いだのかを検証するのは難しい。
重大な意思決定の記録を残さないのは、行政文書を「民主主義の根幹を支える国民共有の資源」として後世に生かす公文書管理の趣旨に反するのではないか。恣意的な運用を防ぐためにも克明な記録とその保管は欠かせない。隠蔽(いんぺい)の温床となりかねない判断には違和感を覚える。
解釈変更の前後には、「桜を見る会」や森友学園問題など安倍首相周辺での疑惑が相次いでいた。検察捜査での忖度(そんたく)を意図したのではないかとの疑念も改めて生じる。
安倍政権以降、内閣が法解釈を変更し、国会審議を経ずに重大な政策転換を進める手法が横行している。国会でも定年延長問題の政府対応を厳しく検証し、政権の立法府軽視に歯止めをかけねばならない。