日本政府が世界文化遺産に推薦していた新潟県佐渡市の「佐渡島(さど)の金山」について、国連教育科学文化機関(ユネスコ)世界遺産委員会が登録を決めた。鉱物の採取から製錬までを手工業で担っていた時代の遺構は世界的にも貴重だという。2007年に世界文化遺産に登録された島根県の「石見(いわみ)銀山遺跡」とともに、日本の鉱山技術や文化を世界に発信する遺産として活用したい。
佐渡金山は、相川鶴子(あいかわつるし)金銀山と西三川(にしみかわ)砂金山から構成される。金の採掘は400年以上前に始まったとされ、江戸幕府の下で高純度の金を生み出す伝統的な技術が発展した。17世紀の金山としては質、量ともに世界最高水準だったという。
相川鶴子金銀山のシンボル「道遊(どうゆう)の割戸(わりと)」は二つに割れたような山容で知られる。地表の鉱脈を人力で掘り取った「露頭掘り」の採掘跡だ。山を崩して水で洗い流し、そこから砂金を選び取る「大流し」などの採取方法などもみられた。この時代、世界各地の鉱山では機械化が進んでおり、独自の高度な手作業を伝える遺構はむしろ価値が高い。
佐渡金山の登録で国内の世界文化遺産は21件になった。自然遺産は5件ある。国内第1号となった姫路城などの登録は1993年だが、佐渡で世界遺産を目指し始めたのはその数年後だった。登録は30年近い活動の成果であり、念願がかなった佐渡市民の喜びはひとしおだろう。
地元の航空会社は、佐渡と首都圏を結ぶ路線の年内就航を目指している。世界遺産への注目が地域の活性化につながることが期待される。
登録への課題となったのは、世界遺産委員会の委員国である韓国への対応だった。金山で朝鮮半島出身者の強制労働があったとして、登録に慎重な姿勢を示していたためだ。
日本側は、戦時中を含めた朝鮮半島出身労働者の厳しい就労環境や暮らしの展示・解説を現地で実施することにした。全ての労働者の追悼行事を毎年行う予定であることも明らかにした。これを韓国側が受け入れ、登録は全会一致で決まった。世界遺産を巡って対立が深まれば、改善が進む日韓関係に水を差す恐れもあっただけに、賢明な判断だった。
韓国の指摘を待つまでもなく、鉱山は過酷で危険な労働と切り離せない。朝鮮半島出身者の問題も含め、佐渡金山の歴史の全体像を示す努力が不可欠だ。今回の登録は、産業遺産が持つ「負の側面」にも向き合うきっかけにする必要がある。
兵庫県にも長い歴史を誇る生野銀山がある。佐渡金山の山師の出身地は但馬や丹波、播磨が多かったとされる。鉱山を通じた佐渡と兵庫の歴史的な関係にも関心を深めたい。