広島に原爆が投下されてきょうで79年になる。被爆した人たちが年々鬼籍に入る中、被爆地の外でも記憶の継承が課題になっている。
そんな中、兵庫県を拠点に活動する2人に焦点を当てたい。戦争を知らない大学院生と、奇跡的に生き延びた被爆者。被害、加害の立場を超え、核兵器への共通認識を培う試みを広げる必要がある。
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神戸大大学院生の西岡孔貴(こうき)さん(26)は神戸で原爆の痕跡を追い、実相を突き詰めようとしている。
大学1年の時、広島平和記念資料館で模擬原爆「パンプキン」を知る。原爆投下を効果的に進めるため出身地の大阪など18都府県に49発が実験的に落とされ、1600人以上が死傷した。原爆は被爆地だけの問題ではないと感じ、各地で模擬原爆の調査を始めた。
■神戸から問う「神話」
神戸大大学院に進んだ後は、神戸に投下された4発について調べた。3発は着弾地が判明しているが、神戸製鋼所を目標にした1発は分かっていない。西岡さんは米軍の空撮写真を探し出し「これだ」と確信する。六甲山系の摩耶山中に大きくえぐれた跡があった。
昨年12月、他都市で調査する有志らとともに摩耶山に入り、8個の金属片を見つけた。現在、専門会社に依頼して鑑定を進めている。
身近な歴史を掘り下げる活動は、原爆を大きな文脈でとらえる研究につながっていく。米軍資料を読むうちに、模擬原爆は広島、長崎以降の投下訓練でもあったと気付く。近畿の都市が対象になってもおかしくない。広島に原爆を落とした「エノラ・ゲイ」は神戸での模擬原爆作戦にも参加していたことを知った。
米国でも日本でも、原爆が終戦をもたらしたとの認識は根強い。しかし、日米の資料や先行研究を調べるほど西岡さんは疑問を深める。
日本政府は終戦に際し国体(天皇制)の維持を最優先し、国民の被害を軽視した。原爆開発に巨額を投じた米政府は、批判をかわすため効果を強調する必要があった。両国の思惑が交差し、「終戦神話」が生み出されたのではないか。
神話は今も生きている。パレスチナ自治区ガザの戦闘が長びく中、米国では早期終結のため核兵器を使うべきだとの声が上がる。核廃絶を訴える立場の日本も米国の「核の傘」に依存し、強く抗議しない。今こそ人道に背く核の本質を問うべきだ。
「客観的に核兵器の限界を明らかにしたい。身近な戦争の爪痕を掘り起こすことがその原動力になる」と西岡さんは強調する。
■敵も味方も傷つける
三木市の近藤紘子(こうこ)さん(79)は日米を行き来し、核兵器への怒りを共有する講演活動を続ける。
生後8カ月の時、爆心地から1・1キロの地点で被爆したが、奇跡的に生き延びた。「町内でたった1人助かった赤ちゃん」と呼ばれた。
父は被爆者救済に奔走した牧師、故谷本清さん。教会に来る女性らは顔にひどい傷を負い、近藤さんは正視できなかった。「爆弾を落とした人を見つけ、敵を討つ」と誓った。
小学5年の時、彼女らの治療のため米国に渡った父に同行し、現地のテレビ番組に出演したのが転機となる。エノラ・ゲイの副操縦士と対面し、原爆投下後の街の様子を涙ながらに語る姿に心を打たれた。
戦争は敵も味方も傷つける。憎むべきは戦争そのものだと感じた。
この夏、父ら6人の被爆者への取材を基に掲載されたルポ「ヒロシマ」を題材にした映画の製作が決まった。ルポの著者、故ジョン・ハーシーさんの孫キャノンさん(47)が企画し、近藤さんも協力する。79年の歳月を超え、谷本さんとジョンさんの絆を伝える。
「厳しい情報統制の中、原爆の実相を伝えようとした2人の思いを感じてほしい」と近藤さんは話す。
国境や世代を超え共感を広げる。小さな変化を積み重ね、唯一の戦争被爆国として核廃絶のうねりを広げていかなければならない。