日本人野手として初めて米大リーグに挑戦し、シアトル・マリナーズなどで活躍したイチローさん(51)=本名鈴木一朗=の米野球殿堂入りが決まった。日本人、そしてアジア人選手として初めての栄誉である。今月、日本の野球殿堂に入ったばかりで、いずれも候補者になって1年目での選出を果たした。スピード感にあふれた走攻守の実績が日米両国で最大限に評価された。歴史的な快挙に惜しみない祝意を贈りたい。
米野球殿堂の選考は1936年に始まり、第1回はベーブ・ルースらが選ばれた。メジャーで10年以上プレーし、引退後5年が過ぎた元選手らが対象で、全米野球記者協会に10年以上在籍する会員が成績に限らず品格なども考慮して投票する。イチローさんには1人を除く全員が投票した。米球史に残る名選手だと公式に認められたということだろう。
イチローさんは92年、神戸に本拠を置いたオリックス・ブルーウェーブ(現バファローズ)に入団し、7年連続で首位打者になった。阪神・淡路大震災が発生した95年からのリーグ2連覇に貢献した姿は、今もファンの脳裏に焼きついている。
マリナーズでは、2001年の渡米1年目から新人最多となる242安打で首位打者、盗塁王に輝き、史上2人目となるリーグ最優秀選手(MVP)と新人賞を同時受賞した。04年には「不滅の記録」を84年ぶりに更新する262安打で、メジャーの年間最多安打記録を打ち立てた。
巧みな守備と強肩も光り、年間200安打とオールスター戦選出、ゴールドグラブ賞を10年間継続するなど、安定した活躍を見せた。日米球界に刻んだ足跡は極めて大きく、両国の野球殿堂入りにふさわしい。選出を受け、マリナーズは現役時代の背番号51を永久欠番にすると発表した。チームやファンにとって特別な存在であることがうかがえる。
シアトルでの会見でイチローさんは、最も影響を受けた野球人にオリックス時代の監督、仰木彬さんを挙げた。震災30年の神戸については、日本での式典で「僕にとって今も特別な場所。自分なりに進んでいく姿が誰かのきっかけになったり、支えになったり、そんなふうになれたらいいなと思っています」と語った。地元の私たちの胸に響く言葉だ。
メジャーで3089、日米通産4367の安打を放ったイチローさんは19年に45歳で引退し、プロ経験者が高校生や大学生を指導するための研修を受けた。学生野球資格を回復し、各地の高校で熱心に野球を教えている。強豪校だけでなく甲子園出場経験のない公立校にも足を運ぶ。日米の殿堂入りは、多くの球児らの夢にもつながるに違いない。