3・11と聞いて記憶にとどめている人はどれくらいいるのか。生者の世界で誰からも完全に忘れ去られると、死者の世界からも完全に存在が消える。亡くなった者は「2度目の死」を迎える。メキシコの死生観をもとにしたディズニーの『リメンバー・ミー』は、年に一度死者が家族の元へ帰る「死者の日」を扱った映画だ。祭壇の上には亡くなった家族の写真が飾られ、死者はそれをよりどころに現世へ来訪する。音楽をもとに死者の記憶を手繰り寄せ、家族の絆を取り戻す物語である。
生き残った人々はどのように忘却にあらがって覚えておくことが可能か。ただし遺族が死者を思い出すことは葛藤を抱えることになる。忘れないように脳裏に焼き付いている半面、亡くしてしまったことに対する罪意識を抱え込んでいるからである。どれほどの苦難を乗り越えなければならないか。この葛藤を調整し、その人なりの人生を楽しむためにどんな方法があるのか。東日本大震災の遺族の話を聞けばよほどあの世に旅立つ方が楽なのではないかと思ってしまう。けれどもこの世に辛うじてとどまり続ける意味について考えてみたい。
■引き受けられた弱い主体性
宮城県石巻市の遠藤綾子さんは中1の長女花さん=当時(13)=、小4の長男侃太(かんた)君=同(10)=、小2の次女奏(かな)さん=同(8)=の3人の子供を津波で亡くした。
夫が3人を学校に迎えに行って母の家に預け、親戚の様子を見に行った。まもなく夫は津波にのまれ命からがら瓦礫(がれき)から抜け出したが、足を骨折し血だらけだった。翌朝子供たちを捜し歩いていると母のむせび泣く声が聞こえ、その腕には冷たくなった子供が抱かれていた。次女だった。子供たちを家に戻さなければ、生きていたのに…。自分を恨んだ。同日長女も見つかった。
綾子さんは3日目2人の娘の変わり果てた姿に泣き崩れた。長男を捜し歩き1週間後見つかった。「最初は死ぬことしか考えていなかった。侃太が見つかったらこの世に生きていても意味がないと思っていました。悲しいこともないロボットのように何も感じなかった」。楽しいことやきれいに着飾ることに罪悪感を持ち風呂に入ることも拒んだ。毎日ワイン1本を夫と飲み続け、健康に気も使わず長生きしようとも思わなかった。夫が許せず離婚まで話し合ったが子供との思い出話は夫を通じてしかできないのだと気づかされた。
ロボットだった自分を感情のある人間に変えたものは何だったのか。ボランティアから自宅跡でのバーベキューを打診されたが、まもない時期で信じられなかった。だが催すと、近所の人や知り合いが久しぶりに笑い合えたと喜んでくれた。ありがとうと感謝されると彼女の心がすっと動かされた。「まだ生きてていいよって言われている感覚」になり、心の奥底に自分への肯定感が残されていることに気づいた。何かの役に立てることが生きていても意味がないという感覚をなくし心身共に健康でいるきっかけとなった。
自己開示の在り方にも変化をもたらした。周りから悲しみを乗り越えろ、受け止めろと言われていたが、彼女自身は次第に、乗り越えたり受け止めたりしなくてもいいし、開いた穴は一生抱えたままでいいと思うようになった。
苦しみや罰をなぜ受けたのかと自問した時、普段の行いが悪いからだと考え始め、すべてをマイナスに結び付けた。夫が東北に帰りたいと言った時に断ればよかった、結婚しなければよかった、子供を産まなければよかった…。どこまでも「たらればの話」を思い浮かべて無間地獄に陥った。
子供たちのことを一度も思い出さない日はないが、年月がたつと泣く内容も変わってくる。綾子さんの父親が子供たちの動画を編集して10年経過した2021年に送ってくれた。最初は子供の声を聴いたらパニックになるのではとしばらく保管していたが、翌年、正月酒の勢いを借り夫と見てみた。可愛(かわい)かった。こんな声だったんだと。ニコニコ笑って可愛かったから自分がこんなに悲しいんだとようやく理解できた。だから悲しくてもいいんだと周りにも伝えるようになれた。強い悲しみや深い悲しみにはきちんとした理由があり安心して悲しんで良いと思えた。
きれいに着飾ったり、うれしく思ったりするようになったのは、「子供の目」と同一視して、自分が楽しんでいるのは子供も楽しんでいる人生だったと考えればいいと思い始めたからである。それは弱い主体性の立ち上げである。
「自分たちが何かをしている」ような積極的な自己はない。常に自分が何かを「させてもらっている」という受動的な主体性なのである。この消極的な主体性に喜びを見いだし、亡き人の目を重ね合わせることで、生きることの意味をかみしめて人生を楽しむものに転換している。亡き人を心にとどめるとともに、自分らしい生き方を「安心した悲しみ」として表出することを可能にしている。
3・11は弱く、そして強く語りかけてくれる。
(かねびし・きよし=関西学院大社会学部教授、災害社会学)