東日本大震災の発生から、11日で14年がたった。津波や地震で甚大な被害を受けた東北などの各地には、犠牲になった人たちを悼む姿があった。自然災害の記憶と教訓を次代に伝えていく。その誓いを私たちも改めて思い起こしたい。
震災では、多くの被災者が住み慣れた場所からの避難を余儀なくされた。発生当初の47万人(推計)からは減ったものの、今なお約2万8千人を数える。そのうち約2万5千人は東京電力福島第1原発が深刻な事故を起こした福島県の住民だ。
原発が立地し、事故後に全町避難が11年半も続いた双葉町では、地元に戻った人が3月時点で184人しかいない。震災前の人口約7千人のわずか3%以下にとどまる。帰りたくても帰れない人たちがいることを忘れてはならない。
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福島県の7市町村には、原発事故に伴う帰還困難区域が計約310平方キロある。区域内では、政府が特定復興再生拠点区域(復興拠点)の除染などを進め、近年は住民の居住が再開されている。加えて特定帰還居住区域を設け、2020年代のうちに希望者全員の帰還を目指す。
ただ、やはり原発の存在が復興の障壁になっている。その一つが遅々として進まない廃炉作業だ。
昨年11月、東電は第1原発の2号機から溶融核燃料(デブリ)を試験的に採取した。格納容器側面の穴から釣りざお式の装置を入れ、先端の爪形器具で全長約9ミリ、重さ約0・7グラムが回収できた。関係者は「重要な一歩」と位置付ける。だが採取したのは小さじ1杯に満たない。デブリの全量は880トンと推計される。作業の完了は遠い先である。
■工程の見直し早急に
デブリ取り出しは廃炉の最難関とされる。東電は今後、ロボットアームによる採取を始め、30年代に3号機で本格的な取り出しを行う。1号機でも実施し、41~51年に廃炉を終える計画だ。事故の直後に定められた「30~40年後」という廃炉完了の目標は当初から維持されている。
しかし取り出しの開始は延期を重ね、計画から3年遅れた。昨年の試験採取も手順のミスや器具の故障で中断した。背景にあった下請け企業任せの管理体制も発覚した。順調な作業とはとても見えない。
大規模な取り出しになると、大がかりな設備が要るほか、放射性物質を含むヘドロの除去などの作業も伴う。廃炉目標の達成は本当に可能なのか、疑念を抱かざるを得ない。
専門家や政府関係者の中には「廃炉には100年かかる」との見方もある。工程の見直しが必要なら、先延ばしにすることなく早急に再検討に着手してもらいたい。
廃炉の作業は過去に例のないもので、放射線量が高い過酷な環境の中で行うことになる。被ばく線量の管理をはじめ、作業員の安全を最優先にした運用を心がけてほしい。
■見通せない最終処分
第1原発の周辺には、除染で出た土などを一時保管する国の中間貯蔵施設(双葉町、大熊町)がある。原発敷地を囲む約16平方キロの広大な場所は、約2700人の住民が暮らす農村地域だった。この施設もまた、被災地の復興に影を落とす。
施設では、放射性物質で汚染された福島県内の土壌など約1400万立方メートルを受け入れた。帰還困難区域以外の除染はほぼ終わり、今は特定帰還居住区域の除染廃棄物などが搬入される。除染土などは、搬入が始まった15年から30年以内に県外で最終処分すると法律で定めている。
政府は2月、最終処分の工程案を出した。処分用の施設や運用方法を検討して基本方針を示し、夏ごろに全体のロードマップ(工程表)をまとめるという。処分地の決定は30年ごろ以降になる。45年の搬出期限まであと20年だ。帰還を望む住民のためにも、できるだけ早く具体的な手順を示さなければならない。
除染土の処理方法については、容量を減らす技術に応じ、四つの案を環境省が公表した。最終処分先の面積が最大約50ヘクタールから約2~3ヘクタールと差がある。各案の利点と欠点の慎重な比較、検討が欠かせない。
第1原発や中間貯蔵施設がある場所の再生を抜きにして、福島の復興は語れない。取り出したデブリや廃炉作業で生じた放射性廃棄物をどのように処分するのか。原発は更地になるのか。周辺を含め土地の再利用は可能なのか。国と東電には残された難題に向き合い、現実的な見通しを説明する責務がある。廃炉完了後の姿についても、被災者や国民の前で明らかにする時期に来ている。