2011年3月の発生から14年となった東京電力福島第1原発事故を巡り、東電の旧経営陣が業務上過失致死傷罪で強制起訴された裁判で、最高裁が検察官役の指定弁護士側の上告を棄却し、武黒一郎元副社長と武藤栄元副社長の無罪が確定した。勝俣恒久元会長は昨年10月に死去したため公訴棄却となっていた。

 史上最悪レベルの重大な事故を起こした旧経営陣が刑事責任を負わない結論に、被害を受けた住民は納得できないだろう。最高裁は「事故の予見可能性はなかった」と判断した。しかし、人々の平穏な暮らしを奪った東電の社会的責任は免れない。現在の経営陣も含めて、その重さを改めて自覚してもらいたい。

 事故では、避難を余儀なくされた入院患者が多数死亡するなどした。被害を踏まえ、福島県の住民ら約1万4千人が勝俣氏や政府関係者らを告訴・告発した。検察は同氏らを不起訴としたものの、市民で構成する検察審査会が起訴すべきだと2度議決し、3人が強制起訴された。市民が刑事責任を追及したと言える。

 争点の一つは、政府の地震調査研究推進本部(地震本部)の「長期評価」の信頼性だった。東電はこの予測に基づき、最大15・7メートルの津波の恐れがあるとの試算を得ていた。

 旧経営陣5人に対し、会社に与えた損害を賠償するよう求めた株主代表訴訟では、東京地裁が「(長期評価は)相応の科学的信頼性があり、津波対策を義務付けられるものだった」との判決を出した。ところが今回、最高裁は「信頼度が低く、10メートルを超える津波が襲来する現実的な可能性を認識させる情報だったとまでは認められない」と判断した。

 無罪推定の原則がある刑事裁判では、民事より緻密な立証が求められることは理解できる。とはいえ津波対策を先送りし、重大事故を防げなかった刑事責任を問えない司法の仕組みでは、事故の教訓を今後に生かすのは難しい。個人ではなく企業を処罰対象とする「組織罰」導入などの議論を深める必要がある。

 原発事故で避難した住民らが国に損害賠償を求めた集団訴訟では、最高裁が22年に国の責任を認めない判決を出した。その後、同種訴訟の下級審では同様の判断が続いている。

 そうした中、政府は原発回帰に大きく政策転換した。今年改定されたエネルギー基本計画では、事故を教訓にした「可能な限り原発依存度を低減する」との表現を削った。老朽原発の運転や建て替えも容認する。

 国が責任を問われず、経営陣も刑事罰を受けない。その現状でもし再び深刻な原発事故が起きれば、誰がどのように責任を取るのか。政府と電力会社の見解を聞きたい。