14人が亡くなった地下鉄サリン事件は発生から30年を迎えた。事件を起こしたオウム真理教の施設への一斉捜索はその2日後だった。
30年の歳月を経て、捜査の問題点を指摘する新たな証言が出てきている。それらに触れるにつけ、もっと早く強制捜査に着手できなかったのかと悔やまれてならない。事件が起きる前に猛毒サリンの製造拠点などに踏み込んでいれば、無差別テロを防げた可能性がある。
一斉捜索の容疑は1995年2月の公証役場事務長の逮捕監禁だったが、前年には松本サリン事件が発生し、6年前には坂本堤弁護士一家殺害事件も起きていた。遺族らが捜査の進め方に疑問を感じるのは当然だ。警察は失敗の本質をさらに検証し、教訓を生かさねばならない。
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警察庁は96年の警察白書でオウム真理教による一連の事件の反省と教訓を公表した。カルト教団による従来にない組織犯罪と総括し、対策を打ち出した。
柱の一つは指揮・連携体制の強化だ。教団に絡む事件は広域で起きたが、都道府県警の管轄区域の壁があり、山梨県の教団施設の捜索に警視庁を投入しづらかった。96年の警察法改正で管轄区域外の活動を容易にし、警察庁長官が直接指示できるようにした。
科学捜査の体制も強化した。未経験の毒物への対応に苦慮した教訓から、サリンなどの猛毒の製造や所持、発散などを禁止する「サリン防止法」を成立させた。
■個々の事件の検証を
しかし、より再発防止に生かせる教訓を得るには、個々の事件対応の掘り下げが不可欠だ。
刑事警察のトップ、警察庁刑事局長を務めていた垣見隆氏は地下鉄サリン事件を防げなかった要因として「警察内部での危機感の共有が不十分だった」と証言する。
警察庁は松本サリン事件の約1カ月後、教団がサリンを大量に製造している可能性を把握した。散布による攻撃や集団自殺を防ぐため、山梨、宮崎県での拉致事件など複数の容疑で教団施設への捜索を波状的に実施し、危険を除去する計画を立案した。ところが「時期尚早」などの意見が出て実現せず、結果的に地下鉄でのテロを許した。
警察全体が危機意識を持ち、テロ防止の観点で捜索を早める選択肢はなかったのか。今からでも調査を尽くし、遺族の疑問に応えるべきだ。
もう一つ、重大な疑問がある。早い段階で教団関与の疑いが浮上していたならば、松本事件の第1通報者で被害者の河野義行さんへのあらぬ疑いを早期に否定できたのではないか。マスコミも人権侵害に加担した事実を改めて胸に刻みたい。
教団絡みの相談への対応がおろそかだった点も暴走を許す要因となった。出家や寄進を巡るトラブルは相次いでいたが、警察は「宗教弾圧」との批判への恐れなどから介入に及び腰となり、結果的に教団を強大化させた。
垣見氏は「事件への反省が十分に自覚も検証もされていないのは大変残念だ」と話す。
遺族の悲しみは今も深く、後遺症に苦しむ被害者も多い。教団の後継団体「アレフ」による補償も滞っている。事件はまだ終わっていないことを忘れてはならない。
■若者への支援不可欠
一連の事件には、優秀で将来を嘱望された若者たちが加わった。孤独や生きづらさを感じていたとされる。30年後の今も、同様の閉塞(へいそく)感を抱く若者は少なくないだろう。孤立を防ぐ取り組みが求められる。
近年は交流サイト(SNS)の普及で真偽不明の情報や陰謀論にさらされるリスクが増しており、一層警戒が必要だ。アレフは勧誘の際に「地下鉄サリン事件は外部の者によるでっち上げ」「今も弾圧されている」などと主張しているという。
若い世代には事件を知らない人も多い。教訓を風化させないために、情報との向き合い方を含め、社会全体で考え続けねばならない。