太平洋戦争終結から今年で80年となる。天皇・皇后両陛下が戦没者慰霊のため、4月7日に硫黄島を訪問されることが決まった。広島、長崎、沖縄も訪れる見通しで、硫黄島が一連の訪問の始まりとなる。

 世界では今も戦争や紛争が絶えない。人々の苦しみは世代を超えて長く続く。80年前の1945年3月26日、日米の激戦の地となった硫黄島で戦闘が終わった。双方の犠牲者を悼み、戦争の不条理さ、無益さを改めて心に刻みたい。

 小笠原諸島に属する硫黄島は、日本本土空襲の爆撃機の中継地として米軍が確保を狙って上陸し、沖縄と並ぶ激戦地となった。戦いは1カ月以上に及び、死傷者は日本軍約2万人、米軍は約2万8千人に上った。軍属として残ることを強制された島民も含まれる。

 日本軍の士官や兵士の多くは一般からの召集だった。32年ロサンゼルス五輪の競泳の銀メダリスト河石達吾(たつご)さんもその一人だ。神戸で暮らし、電力会社に勤めたが、2度目の召集で硫黄島に配属された。戦地で息子の誕生を知り、その喜びを妻への手紙につづった。硫黄島では日本兵の95%が亡くなるか、行方不明となった。河石さんも神戸に戻ることはなかった。

 この戦いのさなか、日本本土への空襲は本格化し、45年3月10日には東京、17日には神戸で大空襲があった。一般市民の犠牲に加え、戦争を通して12万人以上の戦災孤児を生んだ。孤児の多くが困難に直面したであろうことは想像に難くない。

 68年に硫黄島は米国の施政権下から日本に返還された。現在は自衛隊の基地が置かれ、一般の上陸は原則禁止されている。戦後80年を迎えてもなお、故郷の訪問すら難しい人たちがいるのが現状だ。

 硫黄島では1万1千人余りの遺骨が未収容とされる。遺骨収集を「国の責任」とする戦没者遺骨収集推進法は2029年度までを集中実施期間と定める。政府は硫黄島など激戦地での収集ペースを上げてほしい。

 戦争で被害を受けるのは常に一般市民である。悲劇を繰り返さないために、戦場で何が起きたかを知り、体験を語り継ぐ努力を続けていきたい。