大阪・関西万博が、大阪市の埋め立て地・夢洲(ゆめしま)できょう開幕する。

 建設費は当初計画の1・9倍の2350億円に膨れ上がった。パビリオン建設は遅れ、直前まで前売り券の売れ行きは鈍かった。赤字が生じた場合の国や大阪府・市、民間の負担割合は結論に至っていない。

 国家プロジェクトなのに前評判が高まらなかったのは開催の意義や必要性が不明確で、国民には数ある大型イベントの一つにしか見えないからだろう。

 開催が正式に決まった2018年からわずか7年の間に、世界には歴史の転換点とされる大きなうねりが押し寄せる。その中で、158の国や地域が参加する万博が果たすべき使命を、改めて考えたい。

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 今回の万博誘致は14年に大阪維新の会などが打ち出した。維新創設メンバーである当時の松井一郎大阪府知事や橋下徹前大阪市長は、政権復帰を果たした安倍晋三首相らと会談し国の支援を取り付けた。会場の夢洲は大阪府・市が計画する、カジノを含む統合型リゾート施設(IR)の候補地でもあった。

 20年には五輪の東京開催が予定されていた。1964年東京五輪と70年大阪万博がもたらした高度成長の高揚感を呼び起こせるのではないか。「日本を、取り戻す」と掲げた第2次安倍政権の脱デフレ戦略を後押しし目玉政策のIR推進にも資する。維新は政権との距離を縮め、国政政党への足がかりをつかめる-。

 万博開催は国民の夢というより、こうした国内政治の利害がからみあって実現した側面は否めない。

■変貌する万博の意義

 一方で目を向けるべきは、国際社会の中での万博の位置づけだ。

 1851年のロンドンでの初開催以来、各国は国威発揚や観光PRに万博を利用してきた。米国が月の石を、ソ連が宇宙船ソユーズを出展した前回の大阪万博は、冷戦下の宇宙開発競争を如実に示す。

 1970年代には環境問題への関心が世界的に高まる。博覧会国際事務局は94年総会で、万博の役割として「人類共通の課題の解決策を提示」することを決議した。

 それが具現化したのが、2021年10月開幕のドバイ万博である。「テーマウイーク」と銘打ち、生物多様性や健康など週替わりのテーマで各国の有識者が討論した。

 気候変動や平和維持など地球規模の課題に取り組むには、利害を超えた国際連携が欠かせない。多くの国の人々が先端技術や異文化に触れながら、解決策を探ることが、万博の新たな意義となった。

 しかしドバイで模索された新たな万博像は新型コロナウイルス禍でかすみ、22年2月、ロシアがウクライナに侵攻した。コロナ禍を契機に強権国家が台頭し、20世紀末の冷戦終結で期待された自由で民主的な世界の拡大にかげりが見られる。

 急速に普及した交流サイト(SNS)が拡散する過激な言説は社会の分断を引き起こした。イスラエルのガザ地区侵攻と米トランプ政権の復活は、第2次世界大戦後培ってきた国際秩序を揺さぶっている。

 「いのち輝く未来社会のデザイン」をテーマに今回の万博開催が決まった18年、これほどの世界変動を誰が想像しただろう。戦禍や災害がおびただしい犠牲を生み、「いのち」の尊さが改めて着目される今、足元の関西に再び巡ってきた万博を意味のあるものにしたい。

■無形のレガシーこそ

 昭和の東京五輪では高速道路や新幹線が、大阪万博では携帯電話や電気自動車が、後世の社会を変革する「レガシー」(遺産)となった。

 日本国際博覧会協会は今回の万博を「未来社会のショーケース」とし、空飛ぶクルマなどさまざまな先端技術やサービスを実用化する一歩と位置付ける。重要性は否定しないが世界の過酷な現実を思えば、もどかしさを感じずにはいられない。

 今回もドバイ万博と同様に「テーマウイーク」が設定され、「平和と人権」「生物多様性」などで日本を含め各国の参加者が話し合う。紛争当事者のウクライナやイスラエル、パレスチナも出展する。

 ホスト国の日本が尽力すべきは参加国同士の交流を促し、国際社会を再びつなぎ直すという無形のレガシーを築くことだ。安全最優先の運営は大前提である。

 戦後80年の節目に開かれる万博が単なるイベントで終わるか、世界中で失われる「いのち」を救う一助となるか。平和国家を標ぼうする日本の、構想力が試される。