尼崎JR脱線事故からきょうで20年を迎える。乗客106人の命を奪った事故は、遺族らの心に今も癒えない傷を負わせた。悲惨な事故を二度と起こさないためにどう行動すべきなのか。万が一、大規模な事故が発生した場合に一人でも多くの命を救うためには何が必要か。私たちは20年を経て残された課題に向き合わねばならない。

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 2005年に起きた脱線事故は、範囲の狭い災害を意味する「局地災害」と呼ばれる。「広域災害」である1995年の阪神・淡路大震災では、通常の医療が提供されていれば助かった「避けられた災害死」が500人に上ったとの推計があるが、それをいかに減らすかが医療現場の最大の課題だった。

 脱線事故で威力を発揮したのが、インターネットを介した医療情報システムだ。阪神・淡路で情報共有が滞った教訓から整備され、兵庫県災害医療センター(HEMC)を拠点に情報収集や指示ができる態勢が整った。2001年の明石歩道橋事故を経て、救急の情報などを共有できる県独自のシステムもできていた。

 尼崎の現場には県内を中心に計20の医療機関から医療チームが駆け付けた。当時、HEMC副センター長として司令塔役を務めた中山伸一さん(70)=現名誉院長=は「システムで情報共有できたため多くの医療チームが駆け付け、患者を積極的に受け入れられた」と話す。

■「黒の判定」が救う命

 一方で、発生当初にはさまざまな混乱も生じた。

 中山さんに最初に入った情報は「列車と乗用車の事故。負傷者30人程度」。実際の負傷者はその十数倍に膨らんだ。応急処置の要員に加え、負傷者を搬送する救急車なども足りず、重傷者も待機せざるを得なかった。医療と消防、警察の連携も十分とは言えなかった。

 現場の医師らは治療の優先順位を付けるトリアージを徹底させた。黒色(死亡)のタグ(識別票)を付けた患者は搬送せず、赤色(緊急度の高い重傷)の患者を最優先した。日本集団災害医学会は、尼崎の事故での「避けられた死」はゼロだったと検証している。

 中山さんは言う。「トリアージで黒の判定をしっかりしたからこそ、赤の判定の人が救われた」

 ただ、大きな課題も残った。黒のタグに患者情報の記載がほとんどなかったため、最期の状況や判定の根拠を知りたいという家族の思いに十分に応えられなかった。

 黒のタグを付けることは、治療をあきらめることではなく、「避けられた死」を防ぐ医療行為と言える。同時に、家族らにその人の生きた最後の証しを伝える任務でもあることを、医療や救助に当たる者は認識を共有する必要がある。

■安全最優先の社風を

 中山さんは事故後、HEMCで実施する災害派遣医療チーム(DMAT)の養成研修でトリアージの訓練を取り入れ、タグに患者情報を書き込む重要性を伝えている。

 JR西日本は、事故の反省と教訓を基に安全最優先の組織風土を築けているだろうか。今年3月の定例会見で長谷川一明社長は「『安全が確認できなければ列車を止める』という考え方は浸透してきたが、最終的に判断、行動に至らないケースはある」と課題を述べた。

 実際、2017年の新幹線の台車亀裂や24年の指令所のミスなどによる東海道線(京都線)の大規模遅延といった深刻なトラブルが相次ぐ。事故後に入社した社員が約7割となり、記憶の風化が社内でも指摘される。研修や日ごろの業務を通して、教訓を継承するべきだ。

 今年6月に社長に就任する倉坂昇治副社長は、脱線事故の遺族や負傷者に対応する本部の長を務めた経験を持つ。3月の会見で「脱線事故は安全構築の原点」と述べた。事故の被害者や遺族らの悲しみを胸に、組織全体に安全の意識を徹底させてほしい。事故から21年目、JR西の組織風土が改めて問われている。