日本国憲法はきょう施行78年を迎えた。戦後80年の節目である。世界の安全保障環境が不安定さを増し、平和とは何かを考えざるを得ない。
太平洋戦争の反省に立つ日本国憲法は、戦争放棄と戦力不保持を掲げ、国の交戦権を認めない。国際紛争を解決する手段として武力行使を否定する。そう明記した9条が平和主義の根幹をなし、日本は戦争をしない国としての道を歩んできた。
9条はたびたび高まる逆風にもかろうじて持ちこたえているが、「平和国家」の内実は理想とは程遠い。この先、平和主義はどこへ向かうのか。その鍵は私たち国民の手の中にあることを再認識したい。
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政府は長い間、自国が攻撃された場合にのみ領土や国民を守る、「専守防衛」に徹した個別的自衛権の行使が憲法解釈で許されるぎりぎりの線としてきた。それを踏み越えたのは2014年、「自民1強」に支えられた安倍政権により集団的自衛権の行使を容認する閣議決定であり、15年に成立した安全保障関連法である。密接な関係にある他国が攻撃されれば共に武力で反撃し、他国間の戦争にも参加できるようになった。
■無力化進んだ10年
第2次安倍政権以降、改憲に前向きな勢力が衆参両院で3分の2を超え、国会発議の要件を満たす状態が続いた。だが安倍晋三氏ら時の首相は、国民投票による憲法の明文改正を避け、解釈変更で実質的に政策を転換する「解釈改憲」を重ねた。
次の転機は17年の憲法記念日。当時の安倍首相は、自衛隊を9条の条文に追記し「違憲論」に終止符を打つ独自案を公表した。国会で中身を問われた安倍氏は「自衛隊の任務や権限は変わらない」とし、この案が国民投票で否決されても「何一つ現状は変わらない」と述べた。
改憲してもしなくても、何も変わらない-。そう強調することで国民の反発をかわし、改憲のハードルを下げる狙いがあったとはいえ、これほど憲法の規範性をないがしろにした発言はないだろう。
その後、岸田文雄首相(当時)は国家安全保障戦略など安保関連3文書を改定して反撃能力保有を明記し、防衛費を大幅に増やす方針を決めた。相手国の領地に直接ミサイル攻撃ができるようになるが岸田氏も「平和国家の歩みをいささかも変えるものではない」と繰り返した。
石破政権では、3文書を再改定し、物価高騰や国際情勢を理由に防衛費を上積みする構想が浮上する。
この10年、表舞台での改憲論議が進まない一方で、政権による9条の無力化が静かに進んだと言える。
これに対し、「たとえ死文化しても9条が存在する限り、その理念は人類の宝であり続ける」と語るのは、国内外で被災者支援に取り組む一般社団法人「神戸国際支縁機構」(神戸市垂水区)の会長で牧師の岩村義雄さん(76)だ。
今年3月、マグニチュード(M)7・7の激震に見舞われたミャンマーにすぐさま向かい、救援物資を届けた。能登半島地震の被災地での炊き出しなどの活動は16回に上る。
一方、14年から「憲法9条をノーベル平和賞に推す神戸の会」の代表として、護憲を訴える市民団体「九条の会」をノルウェー・ノーベル委員会に推薦してきた。今年も推薦資格のある大学教授ら135人の連名で「紛争解決には憲法9条の平和主義が真価を発揮する」と記した推薦状を送り、受理された。
■幅広い議論深めて
揺れ動く国際秩序のはざまで非戦を誓い「力による支配」を否定する憲法9条と、同調圧力が強い日本社会で「上からの管理にあらがい、一人一人の痛みに寄り添うボランティアの精神は重なる」と岩村さん。「誰か一人でもいい。価値に気づいてくれる人にバトンをつなぎたい」
近年、憲法をめぐる国民の関心は多様化し、それに応える司法の判断が相次ぐ。同性婚を認めない現行法を違憲とする高裁レベルの判決や、生まれた性と自認する性が異なるトランスジェンダーの人権を尊重する最高裁の判断などだ。時代を超え、価値観の変化を包摂する憲法の普遍性に光が当たり始めている。
昨年の衆院選で、改憲勢力は3分の2に届かず、慎重派の協力がなければ国会発議はできなくなった。改憲ありきでなく、幅広いテーマで議論を深める好機ではないか。
夏には参院選も控える。平和主義の変容を許すのか、歯止めをかけられるか。その行方は、憲法が主権を委ねた「国民」一人一人の意思と行動にかかっていると胸に刻みたい。