新潟水俣病の公式確認から、きょうで60年となる。1965年5月31日、新潟大が「原因不明の有機水銀中毒患者が阿賀野川下流域に散発している」と新潟県に報告した。患者は7人で、2人は死亡していた。68年に公害病と認定されたものの、延べ2767件の申請に対し、認定患者は新潟市や阿賀野市などの717人にとどまる。その後の2度にわたる「政治的解決」でも救済は終わらず、今も訴訟が続く。被害者は高齢化しており、熊本、鹿児島両県の水俣病とともに問題解決が急がれる。
新潟水俣病は水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそくとともに「四大公害病」の一つとされる。感覚障害や運動失調、手足のしびれ、頭痛などの症状が起きる。新潟県鹿瀬(かのせ)町(現阿賀町)の昭和電工(現レゾナック・ホールディングス)鹿瀬工場から阿賀野川に排出されたメチル水銀が川魚に取り込まれ、それを多く食べた住民らが発症した。
阿賀野川は国内8番目の流域面積がある大きな河川で、住民が漁業を営み、物資の輸送に使ったほか飲料水も取水していた。公害発覚後に水質は改善されたが、住民の命に関わる環境破壊をした企業の責任の重大さを改めて指摘しておきたい。
被害を巡っては、67年に患者らが昭和電工を相手に損害賠償を求めて新潟地裁に提訴し、71年の判決で勝訴した。これは国内で最初の本格的な公害裁判となり、各地の公害訴訟に大きな影響を与えた。ところがその後の新潟の訴訟では、最高裁が国の責任を認定した九州の水俣病の訴訟とは異なり、これまで国の責任が認められずにきた。
熊本県水俣市での公式確認は56年で、初期の段階で魚介類を汚染した有機水銀が原因との研究発表があった。にもかかわらず、国は集団食中毒として食品衛生法を適用するなどの対応をせず、九州に続いて新潟でも被害拡大を招いた。行政の責任を認める司法判断が出ていない点には違和感を抱かざるを得ない。
未認定患者については、95年に政治的解決として一時金が支払われたほか、2009年には水俣病特別措置法に基づく救済策が講じられた。しかしここから漏れた人が法廷闘争を強いられている。「金目当て」などの偏見が残る中、申請をためらった人も少なくない。政府はこうした経緯を踏まえ、幅広く被害を認める新たな措置に踏み出すべきだ。
環境省は同法で定めた住民健康調査を熊本、鹿児島両県で26年度に始める方針だが、新潟県での予定は示されていない。政府は被害の全容さえ明らかにできていない責任を自覚し、一刻も早い全面的な患者救済を実現しなければならない。