全国初となる明石歩道橋事故の強制起訴から、今年で15年が経過した。2009年の法改正により、検察官が不起訴とした事案でも検察審査会が2度「起訴すべき」と議決すれば強制的に起訴できるようになった。

 しかし強制起訴された被告が有罪となった例は少ない。法律家ではない一般市民が司法手続きを担う意義をどう生かすかが問われている。

 歩道橋事故は01年7月21日に発生した。花火大会の会場近くの歩道橋で群衆雪崩が起き11人が亡くなった。警備の責任を問われ明石署幹部ら5人が在宅起訴されたが署長や副署長(いずれも当時)は不起訴となった。

 審査会が「起訴すべき」と議決して神戸地検は不起訴処分とする展開を繰り返し、法改正により元副署長は10年4月20日に強制起訴された。しかし公訴時効を理由に裁判を打ち切る「免訴」が16年に確定した。事故発生から15年が経過していた。

 最高裁によると今年6月25日現在、強制起訴された被告は歩道橋事故も含め全国8地裁で計15人を数える。うち2人は有罪が確定、1人は一部で有罪が確定した。

 一方、尼崎JR脱線事故に関連し起訴されたJR西日本の歴代3社長や福島第1原発事故を巡る東京電力旧経営陣は無罪が確定するなど、12人は結果的に罪に問われなかった。

 審査会は市民11人で構成されるが、検察と同水準の検証を求めるのは現実的ではない。歩道橋事故では調書類が約6万ページあったという。起訴すべき十分な証拠があるか吟味するというより、事件が引き起こされた「結果責任」を踏まえ市民感覚に基づいて検察の判断をチェックするのが制度の主旨と言える。

 有罪や一部有罪となった3人は、法改正がなければ不起訴だった。市民参加が検察の判断ミスを突いたのは間違いない。

 一方で考えねばならないのは、不起訴や審査会の議決を重ねるため司法判断の確定まで長期間を要することだ。多大な被害をもたらした脱線事故や原発事故の強制起訴では、責任の明確化を求める市民感情と司法判断の乖離(かいり)が露呈した。制度の課題を検証し、実効性を高めるための議論を急がねばならない。