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 80年前のきょう、戦後初の衆議院選挙が行われ、女性が初めて参政権を行使した。戦前からの女性参政権運動は戦後の民主化の流れの中で実を結んだ。この選挙で39人の女性議員が誕生した。

 議会は暮らしに直結する政治の意思決定の場である。国も地方も、多様な視点で議論を積み重ねることが不可欠だ。少子高齢化や経済の長期停滞、地域の衰退などさまざまな問題に直面する現代においては、なおさらだろう。しかし、議員は依然男性に偏る。有権者の半数を占める女性が意思決定に加わる重要性を、この機に改めて認識したい。

 「春雨をつく女性軍 投票函(ばこ)大いに膨らむ」。1946年4月11日の神戸新聞朝刊は、衆院選投票日の熱気をこう伝える。

 初の女性議員は定数の8・4%を占めた。ところが翌年の衆院選で15人、3・2%に激減した。複数の候補者に投票できる「連記式」から、1人に投票する「単記式」に変わり、男性に投票が集中したのが要因と指摘される。その後、女性の政治参画は低迷した。

 89年の参議院選挙では社会党の土井たか子委員長の下で女性議員が次々と当選し「マドンナ旋風」と呼ばれたが、裾野はなかなか広がらなかった。2025年、高市早苗氏が女性初の首相となった。一方、翌26年2月の衆院選で当選者の女性割合は14・6%と24年の前回選挙を下回った。日本の衆院に相当する世界の下院の平均26・9%に遠く及ばない。

 地方議会は人口減が重なり女性「不在」がさらに際立つ。24年末時点で全国1741市区町村議会のうち3割超の594議会は女性議員がゼロか1人しかいない。兵庫県内は神河町と香美町がゼロである。

 女性の政治参画が進まないことを社会の構造的な問題ととらえ、解決へ向け動くべきだ。

 「政治は男の領域」「1日24時間政治に集中してこそ議員」などの思い込みにとらわれていないだろうか。有権者や同僚によるセクハラやパワハラも、女性を阻む障壁となる。家庭と議員活動が両立できる環境整備や意識変革が欠かせない。

 政府は指導的立場に占める女性の割合を30%とする目標を掲げる。集団の中での比率が30%を超えると発言権が確保しやすくなるクリティカル・マスという考え方に基づく。女性議員が極端に少ないままでは、影響力を及ぼしにくい。

 政党が果たすべき責任は大きい。候補者をできるだけ男女同数にする候補者男女均等法が18年に成立したが、中でも自民党は目標にほど遠い。多様な視点や経験を持つ候補者を擁立しやすい制度改革が必要だ。