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尼崎JR脱線事故

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脱線事故現場を訪れた遺族の山田冨士雄さん(右)と弟、冨美雄さん=25日午前、尼崎市久々知(撮影・三浦拓也)
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脱線事故現場を訪れた遺族の山田冨士雄さん(右)と弟、冨美雄さん=25日午前、尼崎市久々知(撮影・三浦拓也)

脱線事故現場を訪れた遺族の山田冨士雄さん(右)と弟、冨美雄さん=25日午前、尼崎市久々知(撮影・三浦拓也)

脱線事故現場を訪れた遺族の山田冨士雄さん(右)と弟、冨美雄さん=25日午前、尼崎市久々知(撮影・三浦拓也)

 絆を支えに歩んできた9年だった。「博(ひろ)ちゃん、これからも見守ってな」。妻博子さん=当時(54)=を失った山田冨士雄(ふじお)さん(64)=兵庫県尼崎市=は25日、事故後の日々を見守ってくれた弟の冨美雄(ふみお)さん(62)=大阪府河内長野市=と事故現場を訪れ、手を合わせた。

 子育て、両親の介護、畑での野菜作り、カラオケ教室通い…。冨士雄さんが「スーパー主婦」と呼んだ博子さん。あの日、1両目で犠牲になった。

 ひつぎが並んだ遺体安置所の体育館で、「山田家のどん底や」と感じた。傍らに、ぼうぜんとする娘と2人の息子がいた。次男はまだ高校生だった。親の自分がしっかりしないと。「山田家はゼロからの出発や。泣いてたまるか」と誓った。

 寂しさは消えない。でも悲しんでばかりだと、前に進めない。事故から1年半後、JR西日本と賠償交渉で合意した。「一歩を踏み出すため」。そう考えての決断だった。

 事故2年後、大学時代の落語研究会の仲間と、落語グループを立ち上げた。各地での出前寄席はこれまでに延べ156回に上る。

 そんな兄を、健康心理学の専門家として、大阪人間科学大学(大阪府摂津市)で教授を務める冨美雄さんは、優しく見守ってきた。心理学者として事故や災害で心に傷を負った人を支援する立場だが、兄の相談相手に徹してきた。

 「これでいいやろか」。何かを行動に移そうとするとき、兄は弟に聞いた。「ええんちゃうか」。兄が少しでも前に進めるよう、弟はそっと背中を押した。

 一つ一つ階段を上るように生きてきた。冨士雄さんは、時間の経過とともにJR西の風化を懸念する。新入社員らに思いを伝える講話を続け、今春で7回目を数えた。「なぜあなたたちに話すのか、考えてほしい」。冨美雄さんも同じ気持ちだった。

 「博ちゃん、絶対に忘れさせへんで。風化の防波堤になるからな」

(宮本万里子)

2014/4/25
 

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