エッセー・評論

上海発 金鋭のモノクロフォトコラム

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「共に生きる」
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 日本で新型コロナウイルス感染が確認されて1年が過ぎた。その勢いは止まらない様相だ。

 ちょうど1年前の旧正月(春節)の休みに、家族と一緒に神戸へ帰省した。当初の予定では春節の休みが明ける2月上旬には、上海に戻る予定だったが、当時は武漢を中心に中国は深刻な状況に陥っており、そのまま故郷神戸での滞在延長を余儀なくされた。

 中国に戻る決断を下したのは3月。日本をはじめ海外からの中国への入国が禁止されため、妻と子ども2人を残し単身上海へ。2週間、ホテルでの隔離生活を経て、4月にようやく現地での活動を再開した。

 上海も一時は感染拡大の恐怖にさらされていたが、このころには街も随分と落ち着きを取り戻した様子だった。とはいえ家族と離れての一人暮らしは数十年ぶり。緊張感を保ちながらの生活が始まった。仕事も神戸に滞在中、リモートでこなしていたが、90%はキャンセル、もしくは延期。文字通りゼロからの活動再開だった。

 現地の詳しい状況を確認するため、すぐさま数人の友人たちと連絡を取った。突然見舞われたコロナ禍にそれぞれがもがきながらも、オンラインを駆使しながら仕事をこなしていた。上海は強制的な「ロックダウン」ではなく、自主的な「ソフトダウン」状態。だから日常生活もさほど不自由ない様子で、街にも少しずつ人が戻っていた。

 なぜ、上海はコロナをここまで抑え込むことができたのだろう。

 神戸滞在中に接した報道などでは、中国は政府主導の下、徹底した検査と隔離の実行、個人情報を含めたプロセス追跡、情報管理によって封じ込みに成功した、というものだった。しかし、そこには現地で暮らしている人達の感情や息づかいみたいなものがあまり伝わってこなかった。

 実際の上海の街に出て最初に肌で感じた印象は、市民の高い「自衛意識」だった。感染する、感染させる可能性のある行動は何があっても慎む。外出はしない。会食もしない。巣ごもりを続けひたすら堪える。そういえば上海に戻って友人を会食に誘うと、「外食は今年初めて」と話す人が少なくなかった。

 日本が立ち遅れているとされるデジタルのインフラが整備されているのも大きかった。自宅でほぼ全てのことがオンラインで対応できる。

 制約された暮らしの中で威力を発揮したデジタルだが、ある友人がとても興味深い話をしてくれた。「オンラインだけで果たして生活できるのか。今回のコロナ禍で試されているのは人間の基本的な感覚や価値観。壮大な実験のようのものではないだろうか」

 神戸から上海に戻って9カ月がたとうとしている。ウィズコロナは変わらないが、暮らしはほぼ元通りに戻った。ソーシャルディスタンスも時短営業もない。リスクのある地域には近づかない、徹底した自衛により「安全・安心」が担保された暮らしを、心の平穏を取り戻したのだ。すべては自己責任。

 「人はオンラインだけでは生きていけないんですよ。リアルに会えなければ人恋しさが募るばかり」と前述の友人。そういう意味でも今の上海はどこよりも健全で、安全なのかもしれない。

2021/1/26

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