植木則(のり)さんの自宅は、78年の人生を終えた豊岡市日高町の介護施設「リガレッセ」から車で10分ほどの集落にあった。民宿や旅館が軒を連ねる一角の古い木造2階建ての家だった。裏に回ると、雑草に交じってスイセンとタンポポが咲いている。どこからか、ウグイスの鳴き声が聞こえる。
周囲で話を聞くと、炊き込みご飯をお裾分けしたお礼に「植木さんから山菜をもらった」という女性がいた。だが、近所付き合いはあまりなかったようだ。
オーストリア在住で、植木さんをみとるため帰国していた妹の瀬尾やよいさん(70)に話を聞いた。植木さんは戦時中に旧満州で生まれ、引き揚げ後は福岡県の炭鉱の町で家族と暮らした。どういう経緯で但馬にやって来たのかは分からない。結婚の経験はなくずっと1人暮らしで、そば屋で働いていた。
体調が悪くなったのは2年前の夏だという。病院で末期の胃がん、そして肝硬変と診断された。医師からは「手術のリスクは高い」と告げられた。以前、肝臓の病気で薬を服用したときに味覚障害の副作用がつらかったため、薬は一切飲まないと決めたようだ。
今年2月上旬、自宅で倒れているところをケアマネジャーに発見される。延命治療を拒否していたため入院せず、リガレッセに入所した。自宅で最期を迎えたいという思いが強く、落ち着けば訪問看護に切り替える方針だった。
しかし入所後、リガレッセ所長の広瀬みのりさん(53)らが自宅を訪れると、家の外までごみが散乱していた。トイレが詰まり、悪臭もした。体調が悪くなって長期間、家事ができない状態だったようだ。最終的に、自宅に戻るのは無理だと判断された。
「帰るー」「連れて帰れー」。リガレッセで毎日、叫びながら訴える植木さんを、帰国した妹のやよいさんが「あの家に帰っても、寝られないよね」と粘り強く説得したという。
納得したのだろうか。「もー、しゃあない」。ある日、スタッフにそう漏らした。それから「帰りたい」と口にすることはなかった。
2019/6/5