夕暮れになっても南国の日差しは強い。宮崎市の中心から少し離れた住宅街に、全国初のホームホスピス「かあさんの家 曽師(そし)」はある。2004年6月にオープンした。
末期がんや認知症の高齢者がスタッフとともに暮らす。運営するのは認定NPO法人「ホームホスピス宮崎」。理事長の市原美穂さん(72)が隣の家に案内してくれた。
「いらっしゃるかなあ」。インターホンを押すと、内田保實(やすみ)さん(77)と喜久代さん(71)夫妻が顔を出した。
「かあさんの家 曽師」の入居者第1号は、保實さんの父親、澄志(きよし)さんだった。「始まりはね、おじいちゃん付きだったの」。そう言って、市原さんが笑う。
市原さんは15年前、認知症や独居の人たちの居場所として、ホームホスピスの開設を目指した。どこかで民家を借りられないだろうか。その活動を、地元の新聞社が紹介する。記事を読んで連絡したのが保實さん夫妻だ。
「あの頃はダウン寸前やったね。寝かせてもらえんかった」。澄志さんは隣の家で暮らしていた。認知症がひどく、「おーい」と大声で呼び続ける。「助けてくださーい」と叫ぶこともあった。
介護保険を使ってグループホームに入ると、薬で眠らされた。「笑わんようになって、こっちのことも分からんようになって…」。どうしたらいいのだろう。悩んでいた時、新聞記事が目に留まる。
保實さんは父親の家をホームホスピスとして使ってほしいと申し出、市原さんに澄志さんの介護を依頼した。
開設に向けて地域で開いた説明会では、保實さん自ら隣人に訴えかけた。「うちの親父(おやじ)、しっかりしとったやろ。でもこんなんなるんよ」。澄志さんは九州電力の電気技師で、地域の区長もしていた。
ホームホスピス開設に反対の声は出なかった。
「かあさんの家」で澄志さんの介護が始まる。薬をやめて2週間後、自分で歯を磨いた。歩けるようになると映画館に出掛けた。そして1年5カ月後、庭で遊ぶひ孫の声を聞きながら、93歳で息を引き取った。
市原さんらが運営するホームホスピスは今、宮崎市内に3軒を数える。これまでに100人以上をみとったという。「100人みとれば、100の物語があるの」。市原さんが言った。
2019/6/14