私たち取材班の元に連日、読者から手紙やメール、ファクスが届いています。そこには連載への感想や意見とともに、家族をみとった経験が書かれています。その一部を紹介したいと思います。
神戸市垂水区の女性(58)のメールには「人間は誰もが死ぬのに、なぜ死をタブー視するのか。なぜもっと、死ぬ前提で話ができないのか疑問に思っていました」とありました。
女性は両親を見送った経験を振り返り、延命治療をしないと決めたものの、最期と向き合った時間が一番悲しかった、とつづっています。「死ぬことより、その前の期間の過ごし方が怖いです。初めて知りました。『死ぬのではなく、死なせるのだ』と」。文面に葛藤がにじんでいるように思いました。
三田市の女性(73)の母親は病院で亡くなりました。入院中の点滴の痕が痛々しく、手を握ると、弱々しい声で「家に帰りたい」と話したそうです。これまでは「自分もいつか病院で苦しみながら最期を迎えるのだろう」と考えていましたが、連載を通して、そうではない死に方を知ったと書かれていました。
「私も自分の意志を貫いて人生を全うし、静かに締めくくりたいと思う。しかし、私には自信がない」。姫路市の男性(65)の手紙にあった一節です。
2年前、80代の両親を自宅でみとった赤穂市の女性のメールには、「悲しい作業でした」と記されていました。一方で「最期まで一生懸命生き抜いてくれた父と母の姿は、残された私たちに生きていく勇気と力をくれました」とも。「私もやがて逝くときは地域で、できることなら自宅で穏やかに逝きたい」
在宅介護や地域でのみとりについては今後、連載でも取り上げる予定です。
加東市の女性(67)の手紙には、延命治療を拒否していた94歳の母親が、緊急入院した病院で医師に押し切られ、治療を施された経験が書かれていました。「無理やり酸素を入れ続け、4週間永らえて亡くなりましたが、結局、苦しめただけだったと思いました」。後悔の念がうかがえます。
こんな指摘もいただきました。神戸市東灘区の女性(76)のメールには、連載について「きれい事で終始している感じがします」とつづられていました。「もっと掘り下げて、議論の場にしてほしい」
心にとどめ、書き進めていきたいと思います。
次回から物語の舞台は九州の宮崎市へと移ります。全国で初めてホームホスピスが誕生した場所です。改修した民家で、認知症や末期がんの患者らがスタッフに見守られながら暮らす日々を見つめます。
2019/6/13