台湾で耳にした言葉が、ずっと引っかかっていた。
延命治療の中止など、終末期医療の法整備が進む台湾。2月、病院での集まりを取材した際、現地の医師が「good death」と繰り返した。「良い死」って?
◇ ◇
昨年春に取材班に加わった私が最初に出会ったのは、末期の大腸がんを患い、病院から自宅に戻ってきた兵庫県小野市の廣尾(ひろお)すみゑさん=当時(68)=だった。
面会の約束をして自宅を訪問すると、すみゑさんは体調が急変していた。死が迫る中で、懸命に私に言葉を伝えようとする。「いい家族に恵まれて、おおきに」「ええ人生やった」-。私はただ、必死に見つめるだけだった。
その後、学校から慌てて帰ってきた孫が、すみゑさんがリクエストしていた曲「365日の紙飛行機」を歌う。最期の瞬間は家族や友人、医師や看護師ら16人がベッドを囲んだ。
私が人の死に立ち会ったのは24年前、高校生の時に祖母を自宅でみとって以来のことだ。
取材を終えて、すみゑさん宅の玄関を出たものの、まっすぐに歩けていない気がした。自然と涙が出る。その夜はほとんど眠れなかった。
今年2月初め、芦屋市立芦屋病院で、胆管がんの金森英彦さん=当時(84)=と、白血病の克子さん=当時(83)=夫妻に出会った日のことも、鮮明に覚えている。
病室の扉を開けると、二つの並んだベッドが目に入った。死が近づいているはずなのに、不思議と温かい雰囲気を感じた。
英彦さんが亡くなった6日後、克子さんが命を終えた。長女は「2人は『いつも仲良く』という自分たちの道を貫いた。私も納得できています」と振り返った。
◇ ◇
廣尾すみゑさんも、金森さん夫妻も「良い死」だったのだろうか?
5月に入って、連載で紹介した小野市の「篠原医院」の院長、篠原慶希(よしき)医師(69)を訪ねることにした。
診察室で向かい合い、「良い死って何ですか?」と尋ねると、篠原医師は即答した。
「良い死ではなく、良い生き方やと、私は思います」
そうなんだ。今回の取材で私が圧倒されたのは、死ではなく、その人たちの生だった。(中島摩子)
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