昨年6月に始まり、1年間にわたる連載を終えたシリーズ「いのちをめぐる物語」(全8部)には、読者から約350通の手紙やメール、ファクスが寄せられました。家族との別れを経験した人、闘病中の人、医療や介護関係者からのお便りもありました。生と死に向き合い、葛藤や後悔、亡き人への愛情…。あふれる思いがつづられていました。取材班はそれらの文面を心に置きながら、1年間、記事を書き進めてきました。シリーズ最後のお便り特集をお届けします。(紺野大樹、中島摩子、田中宏樹)
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連載「わたしの終(しま)い方」を読んで、2014年2月に亡くなった私の母を思い出します。母は、主な病気は胃がんでした。
元気印で寝込んだこともない働き者で、行動的な母でしたので、病名を聞いた時は、すごくショックを受けました。一人っ子の私と母とは「一卵性親子」と親戚の人に言われるぐらい仲良しで、結婚後もいつも一緒に過ごしていました。
病気になった母と向かい合った時、母の気丈さとプライドを感じました。私は自分の意見は言わずに、すべて母の選択に任せ、母の前では、今まで通りの私のまま、笑顔でいようと、心掛けていました。
胃がんの手術後、母が抗がん剤治療を受けることを選択したと聞いた時、正直、私はホッとしました。
母は、ひ孫もできたこともあり、成長を見たいと思っていたようで、月1回の抗がん剤治療を頑張っていました。
しかし、副作用がひどく、髪の毛は抜け、抗がん剤治療を受けた後1週間は寝込み、つらそうでした。そうするうちに、抗がん剤治療の1週間前から落ち込んで、うつのような状態になるようになりました。
それでも、気丈な母は、私に何も言わず耐えていたようです。1カ月のうち、元気でいる時が2週間弱で、その2週間はすぐに過ぎてしまっていたようです。
ある時、母が私に「もう抗がん剤をやめようと思う。棺おけに、髪の毛がある状態で入りたい」と言いました。私は一日でも長生きしてほしいから、母の決断を止めたかったのですが、「決めた通りにしたら良いよ」と言いました。母が結論を出すまで悩み苦しんだのが、よく分かっていました。
「母の人生は母自身が決めるべきもの」と、私は自分に言い聞かせて返事をしたのを覚えています。
母は抗がん剤をやめてから、吹っ切れたように毎日体調も良くなり、よく食べ、笑顔で日々過ごしていました。最後は病院で、信頼していた主治医の転勤の前に亡くなりました。
「延命治療はしないでほしい。お葬式は家族葬でしてほしい」というのが、母の遺言でした。その通りにでき、母の遺言を守ることができました。
私は母と同様、命の選択は自分で決めたいと思っています。(加西市、60代女性)
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