昨年6月に始まり、1年間にわたる連載を終えたシリーズ「いのちをめぐる物語」(全8部)には、読者から約350通の手紙やメール、ファクスが寄せられました。家族との別れを経験した人、闘病中の人、医療や介護関係者からのお便りもありました。生と死に向き合い、葛藤や後悔、亡き人への愛情…。あふれる思いがつづられていました。取材班はそれらの文面を心に置きながら、1年間、記事を書き進めてきました。シリーズ最後のお便り特集をお届けします。(紺野大樹、中島摩子、田中宏樹)
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私は両親と、5歳年が離れた姉の4人家族でした。父は私が23歳の時に病に倒れ、56歳で他界しました。
母は私が高校生ぐらいの時から、今思えば更年期うつだったように思います。過干渉の母を重いと感じ、就職は実家を離れました。就職して2年目で父が亡くなり、その後は実家に戻って母と2人で暮らしました。職場も地元へ転職しました。
遊びたい盛りだったのですが、母のことで制限されることが多く、私もストレスがたまっていました。常に暗い顔をし、ネガティブなことばかり言われるので正直しんどくなり、ある日、母にいら立ちをぶつけてしまいました。
しばらくして、私が外出中に母は家の中で首をつっていました。母は57歳、私が26歳でした。「どうしてあの時、ああ言ってしまったんだろう」と後悔ばかりでした。
母が自殺したと人になかなか言えず、ごく一部の親族か同僚だけが知っていました。葬儀の時、ありきたりのお悔やみと、中には心ない言葉もあり、自分を責め続けていました。ですが、ある方が「これでお母さんも楽になったね」と言ってくれました。その言葉に今も救われています。
でも、私は母の死をずっと引きずっていました。気持ちの整理ができるまで長くかかりました。自分一人ではどうしようもなく、誰かに分かってもらいたかったのに、なんとなく家族の自死は話しにくいし、自分のせいと責めていたので本音が言えず、明るい自分を演じていました。
姉とは子どもの頃から、仲のいい姉妹ではありませんでした。母の死後、必要なことは連絡しましたが、気楽な付き合いはあまりできませんでした。姉もシングルマザーとして生きていくのに必死だったと思います。
そんな姉も自分の娘が就職した年に体調を崩し、47歳で孤独死しました。1人暮らしのため、見つかった時には異臭がひどく、もう見られない姿になっていました。体調が悪いことも理解していたようですが、誰にも助けを求めませんでした。
私は荒れた姉の家を片付けました。どうして自分はこんな目にばかり遭うんだと無気力になり、まわりの人たちが幸せに見えて仕方ありませんでした。やっぱり自分はどこかおかしいし、身内の話はできない。楽しそうに家族の話をされることが、つらくて仕方ありません。
私にとって血のつながった家族は姪(めい)(姉の娘)だけとなってしまいました。姪にとっては私しか血縁者がいません。私の母が亡くなった時のようなつらい気持ちを引きずって生きてほしくないと思い、母代わりとして今は奮闘しております。
40代に入り、自分の人生を見つめ直すうちに、今回の連載の記事を読んであらためて感じたことがあります。
いつまでもつらい過去を引きずっていてはいけない、でも一人で立ち直るには限界がある。つらい時に寄り添ってもらうことの大切さ。亡くなった方は自分で死に方を選んだのであって、誰のせいでもないと思うこと。
自分の体験が誰かのお役に立てるなら幸いです。(40代女性)
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